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「旅籠屋日記」は、会社の公式見解ではなく、当社を設立し代表取締役を務めている
甲斐 真の日々の思いをつづった 個人的な日記あるいは随想です。
したがって、書き込みの内容についての責任は会社ではなく、個人に帰します。
ただし、その信条や個性が「旅籠屋」という事業を生み出し牽引する、
重要かつ不可欠な要素であると考え、
あえて「旅籠屋日記」という名称を用い、 「旅籠屋」のサイト内に置いています。
「旅籠屋」という会社やその事業が、
広く社会の中でどのような存在になることを目指しているのか、
その理念とコンセプト、背景にある感性の源泉を汲み取っていただければ幸いです。

2014年11月14日 地域振興の根源的な意味
日記と銘打ちながら、おそらく過去最高、半年以上も間が空いてしまった。
愛犬を失ってから7ヶ月以上が過ぎ、今もマギーのことを話題にしない日はないが、さすがに痛みは少しは和らいできた。

ありがたいことに店舗の業績は順調なのだが、相も変わらず仕事に追われる毎日が続いていて、じっくりと考える余裕がない。
そんな中、今年も「月刊 ホテル旅館」(柴田書店発行)に掲載する原稿の依頼があり、久しぶりに考えをまとめる機会になった。 
12月発売の2015年1月号に載る予定なので、フライングにはなるのだが、以下に紹介させていただきたい。

年頭所感 「2015年の展望と課題」

「ファミリーロッジ旅籠屋」1号店をオープンさせたのは1995年夏、夢と不安でいっぱいのスタートでした。
夢とは、海外に無数にあるMOTELのような誰もが気軽に利用できるシンプルで経済的な宿泊施設を日本にも誕生させたい、待ち望んでいる人は少なくないはずだ、全国に展開できれば旅の選択肢が増え、日本人のライフスタイルをもっと自由で豊かなものにできるに違いないという願いです。
不安とは、こんなスタイルの宿が日本で受け入れられるのだろうか、宣伝もできないのにお客様は来ていただけるのだろうか、ビジネスとして続けていけるのだろうかという恐れです。
2015年夏、あれから満20年を迎え、全国50ヶ所でお客様を迎えられる見通しが立ち、わずかな金額ですが安定して黒字経営を維持していける確信も得られるようになりました。もちろん、多くの出会いや幸運に恵まれたおかげなのですが、初心を曲げず、こだわりを守り続けてきた結果であるという自負は小さくありません。

その変わらぬこだわりのひとつ、それが地域への貢献ということです
最近、少子高齢化や過疎化の進行などを背景に以前にも増して地域振興が叫ばれ、地方創生という言葉も生まれています。メディアは大多数が総論賛成することを前提に報じているようです。しかし私は、このような風潮や論調には違和感を感じます。思考停止が生み出す「正論」に過ぎないからです。
そもそも人口の都市集中は世界的な現象であり、その流れを押し止める必要はほんとうにあるのでしょうか。成り行きに任せるべきだという選択肢はないのでしょうか。経済的な合理性やインフラの投資効率を考えれば、人間の活動地域を集約したほうが良いという考え方は当然あるはずです。情緒的な「正論」では反論になりません。そこに暮らす人々の生活や心情を考えれば「地方を見捨てる」という考え方は暴論として糾弾されるかもしれません。しかし、地域振興の本質的な意義や目的を見定めないと、対応策の立案や評価はできないはずです。

とはいえ、私は20年前から一貫して地域振興は良いことだと考え、収益性の高い大都市近郊よりも地方への出店を優先し、赤字店舗の閉鎖もまったく検討せずにきました。
これは利益や投資効率の最大化とは矛盾することです。なんとなく地方重視というだけでは経営者失格と批判されても仕方ありませんし、苦しくなれば方針を変える場当たり経営に陥る可能性も否定できません。これでは会社のポリシーとは呼べません。地方重視の本質的な意義や目的を明確にしなければならないのです。

ところで話は変わりますが、「yahoo知恵袋」というサイトで、自然界の摂理についての書き込みが注目を集めました。その要旨は以下のとおりです。
・・・自然界における生物の掟は弱肉強食ではなく適者生存である。重要なことは、さまざまな環境変化に対応して種として生き延びていける多様性を用意し(保険をかけて)おくことである。自然環境の変化は無数の可能性の塊であり、形質の良し悪しはあらかじめ判定できない。個体としては弱い人類が結果的に採用した戦略は、集まり協働して文明社会を作ることによって出来るだけ多くの形質を生かし、子孫繁栄の可能性を最大化すること・・・
(全文はこちら

飛躍と思われるかも知れませんが、無数の地域を大切にするとは地理的な意味での多様性を守ることだと言えないでしょうか。多くの人が地方の衰退を残念に思うのはそのことを無意識のうちに直感しているからではないでしょうか。すなわち、社会全体で多様性を維持することこそ人類の生存戦略に適っている、子孫繁栄のために大切だという本能的な確信です。少なくとも私にとってはそうです。分け隔てなく誰もが泊まれる宿泊施設が必要だという信念も、自由に旅すること自体が人類にとって本質的な営みだと思うのも同じです。

東北では「復旧」なのか「復興」なのかという議論があるようです。震災による荒廃は数十年後の地方の姿を現出させたのだという見方もあります。多様性の維持が人類にとって根源的な命題ならば、一時的で一面的な基準に過ぎない経済的合理性や効率を最優先にするわけにはいきません。辺境を含め地域を守ること、異端や少数派の文化や形質を受け入れることが求められます。いずれも困難で違和感のあることですが、世界中が、先頭を走る日本が示す将来への指針やビジョン、そして哲学に注目しています。

なんとも大げさな話しになりましたが、旅籠屋は継続性のある社会的企業を目指し、こんなことを真面目に考え試行錯誤する会社であり続けたいと思います。
宿泊業は人類の未来を支えていく千年事業だと信じているからです。

2014年5月6日 「埋められない穴」、ふたたび

ゴールデンウィークの連休も、きょうで終わり。 でも、私は日中のほとんどをオフィスで過ごした。
5年以上も続けていたジョギングもやめてしまったし、散歩に出かけることもなくなったし、自宅にいても気持ちが落ち着かない。

というのも、1ヶ月近く前の4月12日、突然愛犬が亡くなってしまったからだ。


                                          6歳の頃                                    生後1ヶ月の頃

10年前にも同じ経験をした。その時のことは、前に書いた(2004年8月22日「埋められない穴」) 。
その悲しみがあって、1年後に同じ犬種(ゴールデンリトリバー)の子犬を迎え、同じ名前(マギー)を付けたのだった。

あれから8年半あまりが過ぎ、今回もまったく同じことを感じ、ふたたび打ちのめされている。
少し違うとすれば、2代目は両親ではなく私の飼い犬でいつも私にべったりだったこと、3年ほど前に大病したこと(2011年11月19日「我が家の111111」)、
具合が悪くなったその日に突然亡くなってしまったこと、だから喪失感はさらに深く大きいかもしれない。
そして何より、私は10歳、年をとった。

大げさに聞こえると思うが、マギーはペットではなく、家族でもなく、私の一部分だった。
仕事に追われているときは良いが、旅先でも自室でも、体の中心に大きな穴があいたままだ。
とくに、夜なかなか寝付けないのがつらい。
今も、すぐ横で私の様子を見ているマギーの気配がする。

この4日間、静かなオフィスで締め切りのある仕事に追われているのは苦痛ではなく、かえって救いだった。
おかげさまで、「旅籠屋」はおおむね順調だし、スタッフの仕事ぶりも確実に向上している。
私のやるべき仕事は相変わらず多いが、現場の実務は少しずつ減らせるようになっている。

再びあいてしまった穴は、この先生きている限り、もう埋まることはない。
日常と非日常。 安穏と好奇心。 過去と未来。
気がつくと少しずつ潮目が変化している。
ゆっくりと前者に流されている自分がいる。
そろそろ、スローダウンさせていく潮時なのかもしれないと、そんなことを考え始めている。

2013年11月20日 秘密保護法案

今年の4月、本社の主要スタッフであったMくんが会社を離れた。
突然のことであり、引継ぎもままならなかったため、それ以降の半年間はほんとうに大変だった。
ガラス張りの小さな会社とはいえ、当人でないとわからないこともある。
出店やシステムの更新など、対外的な約束事をおろそかにするわけにもいかず、大きなストレスがかかったが、なんとか業務の停滞は避けられた。
特定の個人のスキルや記憶に頼るのではなく、情報を共有し、組織で対応できる仕組みを作らなければと痛感した次第である。
6〜7月は新店オープン準備、8月は決算作業、9月は株主総会、10月はオフィスの改装、そして新しいスタッフも増え、11月に入ってようやくひと段落である。

そんな時、日本政策学校から無料オープン講座の案内メールが届いた。
講義のテーマは、「特定秘密保護法と民主主義について」。講師は元毎日新聞記者・西山 太吉さんである。概要は、こちら
西山さん個人に関心があったので、土曜日の午後、私としては珍しく人の話しを聴きに出かけてみることにした。

日本政策学校は、 主義主張・政党を超えた自由な議論を通じて多様な民意が反映される「真の民主主義社会」を実現するために推進役となる政治リーダーを育成・輩出することを目的にしているそうで、20代と見える若い人たちも少なくなかった。受講者は100人くらいだったろうか。
還暦を過ぎた私の場合、沖縄返還交渉はリアルタイムの出来事であり、密約は半ば公然の秘密だった。西山事件のこともよく覚えている。
今の若い人には信じがたいことかもしれないが、当時、激動する政治状況は雨の日に「傘がない」ことよりも身近で切実な関心事だった。

さて、最前列に座る私の目の前に現れた西山さんはすでに80歳を過ぎ、弱々しく小さく見えた。
しかし、生の経験談はさすがに説得力があり、時折力を込める言葉には迫力がある。
1時間の講演が終わり、周囲の人たちと意見交換タイムが始まった。
密約そのものへの驚き、アメリカという国のずるさに対する批判、交渉術の巧拙などについての発言があったが、私の心の中にはもっと別の疑問が浮かんでいた。
一言で言えば、個人と組織の関係について。
どんな組織であれ、組織として機能するためには一定の規律や守るべきルールが生まれ、必然的に個人個人の価値観や思いとは矛盾が生じる。
国家は、特殊性はあるもののひとつの組織には違いなく、秘密保護の問題は両者の本質的な矛盾をどうとらえるかに関わることに違いないと思ったのである。

意見交換の時間が終わり、西山さんへの質問時間が与えられたので、私はこの疑問をそのまま投げかけてみた。
「哲学的なテーマですね」という言葉に続き、誠実に答えてもらったが、短い時間で深められるわけもない。言葉のニュアンスを感じ取り、考えるヒントだけを受け取って講座は終了した。

振り返ると、私はずっと既成の価値観の押し付けや権威に逆らってきたように思う。「個人の自由」を大切にしたいという強い思いがあり、アメリカのMOTELのような宿泊施設を日本にも誕生させたいという願いも、間違いなくその延長線上にある。
しかし、会社を立ち上げ、店舗が増え、人が増えれば、それは間違いなく組織である。気がつけば、標準化の推進とかマニュアルの作成とか、組織を維持強化することが仕事の中心になっている。
人一倍「個人の自由」に執着している人間が、経営者としては社員ひとりひとりをルールに従わせようとしているわけだ。

Mくんは、半年間、ひとりで日本縦断の旅を続けているらしい。幸せな出会いがあり、屈託の無い交歓もあるに違いない。
しかし、その先にどんな世界が生まれるのか、私にはよくわからない。

個人の自由と組織の力、ほんとうに難しい永遠のパラドックスである。
西山さんの言葉から得たヒントをもとに、今も考え続けている。

2013年9月2日 旅は、自由。

旅は、自由。

気兼ねなく、好きな時に、好きな所に行ける。
あたりまえのことのようですが、今世界中で、こんな自由に恵まれた人々がどれだけいるのでしょう。ほんの一部に違いありません。
心と体の健康、ある程度の経済的ゆとり、車社会のインフラ、個人を大切にする平和で安全な社会、これらの条件がそろわないと得られないことだからです。
50年前はどうだったのでしょう。50年後は、どうなるのでしょう。
長い長い歴史の中で、無数の人たちがあこがれ、願い、ようやく手にした夢のような時代と場所に私たちは生きています。

20年前、私たちがアメリカのMOTEL(ラブホテルではありません)を泊まり歩きながら感じたのは、そんな自由のありがたさと厳しさについてでした。
なによりも大切なことは料金を含め多くの人が分け隔てなく気軽に泊まれること、そして、いろいろな個性や違いを受け入れ、少しずつ我慢しあうことが自由を支えているのだということ。
私たちの宿には、温泉やレストランなどの施設も、ことさらのお客さま扱いもありません。使い捨てのアメニティグッズも置いていません。
しかし、1号店からペット同宿を受け入れ(一部客室のみ)、ほとんどの店舗にバリアフリールームを設け、全館禁煙にはせず、2年前からの店舗には非常用の発電機を設置してきました。どれも私たちにとっては当然で大切なこだわりなのです。

マイカー旅行者のための素泊まりのミニホテル「ファミリーロッジ旅籠屋」は、アメリカンスタイルの、シンプルなロードサイドホテルです。
1号店オープンから18年あまり、「こんな宿を待っていた」という声に支えられ、ご利用者は延べ180万人以上、41店舗に増えました。全店直営です。
ご家族4人で1室10,500円から、おふたりなら1室8,400円から。おひとりなら5,250円から。
あれこれのサービスはありませんが、それが自由に旅を楽しんでいただくための特長だと信じています。
ファミリーやご夫婦でのドライブ旅行、ひとり旅、ビジネス出張、ツーリングやサイクリング。
どうぞ、気兼ねなく、好きな時に、好きな所に。

(新聞広告用に、大真面目にコピーを書いてみました。)

2013年3月31日 求人難

おかげさまで少しずつ店舗が増えているので、当社ではほぼ恒常的に「支配人」を募集している。
平均年齢が50歳を超えていることでもわかるとおり、子育てを終えた中高年のご夫婦が多いが、最近は30代も増えている。
ミニホテルというと趣味の延長でできる仕事のように勘違いされる方も稀にいらっしゃるが、応募者の多くは何回かの転職を経験した「苦労人」が多く、二人が力を合わせ胸を張ってできる安定した仕事を渇望していらっしゃるように見える。そうした期待に応えられているかは直接確認いただくこととして、少なくとも「予断・偏見・先入観」にとらわれず、学歴や職歴ではなく人柄重視で門戸を開いているという点は我々の誇りとしているところである。
応募は断続的にあり、年間を通して面接を行い、その後「東京新木場店」での10日間ほどの研修を経て、業務の習熟を兼ねて「代行支配人」として各店舗を回っていただいている。その後、どちらかの店舗の「支配人」に着任いただくことになるのだが、すでに勤務期間が10年を超えるベテラン支配人も何組か誕生し、65歳の退年を過ぎても勤務いただいている方も増えている。興味のある方は、こちらをご覧いただき、ぜひお問い合わせいただきたい。

ところで、求人情報のページにもあるとおり、先月から本社の設計スタッフもあわせて募集している。
これまで、建物の設計については、すべて専属の設計事務所(と言っても、本社内に常駐していただいている個人事務所の所長さんひとり)にお願いしてきたのだが、コンスタントに出店できるようになり、既存店のメンテ業務も増えてきたため、ひとりでは処理しきれなくなってきたのだ。
当面はまず、この所長さんの設計業務を手伝っていただくことが仕事の中心になるが、いずれはハード全般を管理監督する責任者になっていただくことを期待している。
というのも、店舗数が増え当社の社員数は100名近くになっているが、本社スタッフは役員を含め10名足らず、誰もが幹部社員、あるいはその候補になれるような職場なのだ。
建物は、2階建てか平屋の小規模なものであり、建築雑誌に紹介されるような「作品」というわけにはいかないが、年間延べ30万人近くの人々が実際に寝泊りし、「シンプルで自由な旅」を体感いただく施設になっているのだから、その社会的意義はきわめて高い。
要するに、とても意味のある仕事、働き甲斐のある職場だと言いたいのだが、今のところ応募はゼロだ。
マスコミ報道を見ていると、就職難が叫ばれ、やり甲斐を感じられず悩んでいる転職希望者が少なくないということらしいが、当社は検討対象になっていないということなのだろうか。知名度の低い中小企業の宿命なのだろうか。そんな風にひがんでもみたくなる。

我こそは、という自信と意欲のある若い建築家からの問い合わせを待っています。

2012年12月25日 商売繁盛、とはいかないかもしれませんが

アメリカのMOTELのような、誰もが気軽に利用できるシンプルで自由な宿泊施設を日本にも普及させたい。そう思い立って20年が過ぎました。

幸い、たくさんのお客様からの支持をいただき、店舗も本州から四国や九州へ広がってきました。その点だけを見て、商売繁盛ですね、と声を掛けてくださる方もあるのですが、それは違うんですと申し上げたくなります。

というのも、ようやく安定して黒字を出せるようになったといっても、その額は実質で毎年1000万円程度ですし、そもそも売上高や店舗の数などを目標にはしていないからです。

例えば、店舗の数。40近くに増えましたが、それはこうした宿泊施設を全国津々浦々に誕生させて、自由な旅のスタイルを提案し、サポートしていきたいという願いがあってのこと。ですから、赤字の店舗であっても撤退したことはありませんし、今後もそのつもりはありません。また、収益性の高い大都市圏ではなく、あえて地方の空白地帯に優先して出店してきました。

次に、多様性への対応。旅は個人の自由の象徴であり、そのためには可能な限りすべての旅行者を分け隔てなく受け入れ、さまざまな旅の受け皿になろうというポリシーです。そのために、手間や費用が増えるのを承知でバリアフリールームや非常用発電機を設置しペット同宿の受け入れなどを続けてきました。お客様からのお叱りにも関わらず使い捨てのアメニティグッズを置かず、全館禁煙に踏み切らないのも同様の理由です。自由を尊重することはお互いが違いを受け入れ少しずつ我慢しあうことだと考えているからです。

そしてもっとも大きなことは、役所との許認可手続きや、施設所有者の方々との交渉の進め方です。ひとことで言うと、目先の効率や結果を優先させず誠実でまっとうなやり方にこだわってきました。

素泊まりのロードサイドホテルというのは日本では新しい業態の宿泊施設ですから、法令は足かせになり、世間の目は偏見で曇っています。ついつい顔色を伺ってご機嫌をとりたくなるのですが、あえて審査会を重ねたり、審査請求をしたり、何年もかけて説明会を繰り返したりしてきました。

商売繁盛と言われて感じる違和感は、効率や利益にとらわれず努力してきたのに、一部の数字だけしか見られていないという悔しさなのです。

今までなかった商品やサービスを提供するという意味で、「ファミリーロッジ旅籠屋」は、間違いなくベンチャービジネスと呼べるものだと思います。しかし、ベンチャー企業は既存の企業が打ち破れない旧弊や価値観に風穴を開け、問題提起をしていくことにこそ値打ちがあるのだと信じています。事なかれ主義や馴れ合いやごまかしに染まらないことが存在する意味です。

4年前、高速道路のSA・PAに分割民営化後初めての宿泊施設を実現させた時、「政治家とのコネがあったんだね」と言われましたが、そんな方法があることを考えもせずに実現できたことが我々の誇りなのです。

先日、二代目経営者の多い業界の集まりに参加する機会がありました。人並み外れた情熱と実行力で起業した先代に比べ迫力に欠けると嘆く声もありましたが、二代目ならではの難しい立場や悩みもあるようでした。
老舗旅館はもちろん、宿泊業界も同族経営や世襲が少なくないようです。若い世代の方々がしがらみに囚われず進むことが大切だと思います。

リーマンショックや東日本大震災の傷も癒えないなか、2012年は隣国との領土問題や政治の混乱が続き、とても心穏やかに新年を迎えられる状況ではないようです。
海外からの旅行者が減り、国内でも観光旅行の手控えが顕著です。若者の車離れもゆとりや希望を失って消極的になっている結果かもしれません。
でも、旅は人間にとって本質的なもの、宿泊施設は一時の流行を追うべき事業ではありません。

あるお客様から「昔、赤ん坊を連れて泊まりましたが、今はその子が孫と一緒にお世話になっているようです」という便りをいただきました。何のサービスもない宿ですが、ご家族の思い出の舞台になっているわけで、こんな嬉しいことはありません。
また、車椅子での一人旅をされた女性から「気配りが心にしみました。旅に出るのが楽しくなりました。また、がんばれそう・・・」というメールをいただきました。

宿泊業は単調な仕事の繰り返しです。基本は地味な裏方仕事です。でも、人間が人間らしく生きていくために無くてはならない仕事だと信じて疑いません。商売繁盛、とはいかないかもしれませんが、笑顔と優しい気持を忘れず、時を紡いでいきたいと思います。

新しい年が、心のゆとりを失わない1年になりますように。

月刊「ホテル旅館」(柴田書店発行) 2013年1月号「2013年新春展望」より転載

2012年9月3日 走ること

ジョガーになって数年、年間1200kmは3年続いてるけど、月間100kmとなるとなかなか続かない。
たまたま今年は1月から途切れていなかったので、8月も頑張った。
夏は、ランニングには厳しい季節。蒸し暑さで気力もすぐに萎えてしまうので、日を空けずにチョコチョコ走る。
そして、31日の夜、なんとか目標達成。
走ってると言えないほど遅いけれど、日常的に汗を流すのが良いと思っているので、私の場合は、これで満足。
走り終えた後、ひとりじんわり嬉しくて、帰宅後の冷えた麦茶もサイコー。自分に乾杯!

正直に言うと、けっして走りたくてたまらないから走るわけじゃない。
走っている間も、楽しいという感じじゃない。どちらかというと、やっぱり苦痛だ。
健康に良いから、意志強く目的意識を持って続けているというわけでもない。
ただ、一度の例外もなく、走り終えるとかすかな達成感を味わえるので、それを信じて、とにかく走り出す。

この感覚、バイクのロングツーリングによく似ている。
風を切って進む気持ち良さもあって、 ランニングと違い、もちろん、走りたくて走り出すのだが、距離が長くなると途中はつらくなる。
肩は凝ってくるし、お尻も痛くなってくる。そこが高速道路だったりすると単調で飽き飽きしてくる。
ふと、何してるんだろう、と思う。
移動するだけなら、4輪のほうがずっとラクだし、そもそも家でのんびりテレビでも見ている方が良かったかなぁと思ったりもする。
7月、みんなでリレーマラソンに参加するため、秋田まで往復した時は、まさにそういう気分だった(その時のレポートはこちら)。

さらに考えてみると、「ひとり旅」も似たようなものかもしれない。
ワクワク、ドキドキしながら旅立ったものの、あてのない旅は、孤独感や疎外感に襲われて、必ずしも楽しい時間にはならない。
貴重な休みをつぶして、お金も使って、俺は何をしているのだろう、という気持になることもある。
見識を広めることが将来に向けて自分の財産になる、と言い聞かせてみるが、本当にそうなのかと疑う自分もいる。
ホンダのCMじゃないけど、そんなの幻想だ。
自分にとっての財産は、たいていの場合、楽しいことより、嘆息の日常の中にある。

ランニングの最中は、極端に思考能力が低下するから半ばぼんやりしているが、
バイクだとある程度頭も働くので、思考が横滑りしながら、飛躍していく。
そして、とうとう「人生も似たようなものかもしれないな」という考えに達する。

いろいろ勉強させられ、義務やら権利などを教えられ、有為な人生を歩め、と諭されて大人になってきたが、そもそも明確な意志や意欲や夢や目的意識を持って生まれてきたわけじゃない。
いろんな本能的欲求に衝き動かされながら、右往左往してきただけじゃないか。
食べないと生きていけないし、仲間外れにされると生きにくいので、親や教師や友達や同僚や上司や親類や家族や隣人の顔色を見て世渡りしてきただけじゃないか。
そして、心から楽しく喜びを感じる瞬間はほんのわずかで、単調な毎日にため息をつきながら、我慢し続けている時間のほうが圧倒的に長い。
ランニングも、ツーリングも、旅も、人生も、同じ・・・

そんなことを言いながら、またまたホンダのCMのフレーズを借りる。

だからどうした! スタートは、そこからだ!

幸か不幸か、哲学的な悩みで人生を棒に振るほどナイーブじゃない。
先がどうであれ、走り出せばいいんだ。

というわけで、今度の株主総会の日の晩から、5泊のツーリングに出る。
何十年ぶりだろう。
これに備え、バイクもちょっと改造した。
シートをシングルにして、バッグをフレーム直付けに。
ヘルメットにスピーカーを付けて、携帯ナビの音声が聞こえるように。

半分は仕事だけれど、とっても楽しみ。
さて、長い道中、どんな思いが頭の中をよぎるのだろう。

健康に感謝、平和に感謝、自由に感謝。

Before

After

2012年5月9日 最後の愛車?

先日、還暦を迎えた。自分が60歳だなんて、まるで実感がない。
それはともかく、ひとつの区切りだから、自分で自分にプレゼントを贈ることを企てた。
迷わず選んだのはオートバイだ。
もう40年近く切れ目なく乗り継いできたが、最近はホコリをかぶらせてしまうばかりで、たまに乗ろうとするとバッテリー上がりだったり故障していたりで欲求不満がつのっていた。これではイカンと思っていたし、去年あたりから気になって仕方ないバイクも発売されていた。
HONDAのCB1100

と 、KAWASAKIのW800

である。

欲しくなると、60歳どころか10歳の子供のようになってしまう。 カタログを取り寄せ、バイク屋に実物を見に行き、またがったり眺めたりする。
もう止まらない。
決して安い買い物じゃないし、ロクに貯金もないのだから、 衝動買いではないかと60歳の自分が戒める。
しかし、数日経っても思いは冷めない。
東京マラソンも板橋Cityマラソンも、歩かずに5時間切って完走できたことをネタに(もちろん、これらは何の関係もないことなんだけど)自分を説得し、ついに心を決めた。

候補にした2台は、ともにナナハンを超えるビッグバイク。これまで250cc以下のバイクしか所有したことのない私にはドキドキものだ。
だからこそ憧れもある。
いずれも、中年以上のリターンライダーをターゲットにしており、オーソドックスで懐かしい雰囲気。プラスチックを多用した最近のバイクと違い、質感も高い。違いのわかる大人のためのバイク?
迷ったあげく、自分の体格と体力を考え、W800を選ぶ。ちょうど3月1日に新色が発売されたばかり。これはいい。黒に赤。還暦にぴったりじゃないか。
断腸の思いで、2台の愛車を中古バイク屋さんに売り、縁あって紹介された岡山のバイク屋さんに注文する。

そして、約1ヵ月後、なんとか仕事のやりくりをつけて空路岡山へ飛び、津山市のパドックさんに駆けつけ、感動の対面を果たす。
ちなみに、このバイク屋さん、広々とした敷地と店内の雰囲気が素晴らしい。そして何より心のこもったサービスで気持ちの良いお付き合いができるお店だ。「こんなバイク屋さんがあったんだ」と嬉しくなること間違いないので、一押しです。

というわけで、ついに念願の還暦祝いを手に入れ、それも想像したよりずっと乗りやすく楽しいバイクなので大満足。
岡山から店舗に立ち寄りながら東京へ戻った片道ツーリングや、建築中の「富士都留店」や「秩父店」の現場回りや、久しぶりの「軽井沢店」訪問など大活躍。

歳も歳だし、これを終のバイクとして大切に乗り続けるつもり。

いろいろな意味で、ほんとうに、良い買い物をした。
しかし、ロングツーリングをしようと考えると、東京の立地条件の悪さが際立ってくる。
そのあたりの話しは次回に。

2012年3月27日 非常用発電機を設置

(IRリリースレターより転載)
昨年3月の東日本大震災の際には、東北地方を中心に10店舗以上で停電が発生しました。照明や通信設備ははもちろん、冷暖房や給水・給湯も電源を必要としているため、宿泊施設としての機能の多くを失う状況となりました。こうした店舗では、すぐに客室を無料開放したのですが、水もお湯もトイレも使えず、避難されてこられた被災者の方々にご不自由をおかけすることとなりました。ほんとうに悔しく情けないことでした。

当社では、非常時の際、宿泊施設は緊急避難場所=シェルターとしての役割を果たすべきだと考えています。雨風をしのぐスペースと寝具、最低限の食べ物と水があれば、命をつなぐことができます。こうした機能を提供できることが宿泊施設のユニークな特徴であり、社会的使命だと信じているからです。

ついては、具体的には、震災後から必要条件を満たす非常用発電機の調査を行って最適の機器を選定、昨年オープンの「袖ヶ浦店」に続き、「宮島SA店」への設置も完了しました。

なお、この発電機はプロパンガスをエネルギー源とするもので、石油などの備蓄が不要で常設のガスボンベが活用できます。
また、あらかじめ施設全体の配電盤に接続しているため、特別な切り替えなどを行うことなく既設の電気機器に通電されます。
しかも、停電時の起動から、電源回路の切り替え、通電再開時の停止などがすべて自動で行われます。
ただし、発電能力に制限があるため、冷暖房設備などは稼動が困難ですが、照明・通信・テレビ・給水給湯設備は通常通り使用可能となります。

ガスボンベ1本で8時間程度の連続運転が可能なため、数日間は電気を供給し続けることが可能な見通しです。
こうした非常用の設備は平時は不要なものであり、一定の費用負担を生じるため、導入決定には社内でも議論のあったところです。しかし、多様な方々に安心して快適に宿泊いただくことが当社のポリシーであり、バリアフリールームや誰でもトイレと同様、標準化を決断した次第です。
今後、建築中の「富士都留店」「秩父店」を含め、新店舗には同様の設備を常設する予定です。

2012年2月23日 幻の九州出店

「富士都留店」に続き、来週には「秩父店」の工事が始まる。これで、夏休み前には本州で「旅籠屋」のない府県は青森、神奈川、富山、福井、愛知、和歌山、京都、大阪、兵庫、岡山、鳥取、島根のみとなる。店舗数を追い求めているわけではないし、全国制覇などという言葉への憧れもないが、ロードサイドホテルというインフラ施設を津々浦々に普及整備させて、自由な旅の受け皿のひとつにしたいという夢が実現していくのはとても嬉しい。
そんなわけで、以前から早く九州にも店舗を誕生させたいと努めてきた。ところが、これがなかなか実現しない。じつは昨年の秋、ある有名観光地での出店が決まりかけたが、最後になって白紙に戻ってしまった。ほんとうに、ほんとうに残念である。念願の九州1号店が消えただけでなく、実現していれば地域貢献の理想的な姿となる可能性を秘めていたからである。

最近、地方の自治体から出店の打診をいただくことが少なくない。宿泊施設は域外の方が長時間滞在するため確実な経済効果が見込まれる。「旅籠屋」のような宿泊特化の宿であれば、食事も買い物も地元の施設が利用されるわけだから尚更である。そして、宿自身が集客のために地域PRを行う。一過性でない地域振興を長期間にわたって担い続けることになるのだ。
加えて、宿泊施設は遊休地活用という面がある。予約客中心だから、必ずしも幹線道路沿いでない土地でも生かされる。「建て貸し」であれば、地主・家主である地元の企業や個人は家賃という形で長期間にわたる収入を得ることになり、地元の建築会社に仕事が生まれ、資金調達を通してお金が回っていくことになる。

今回の件は、ある町の観光協会からの一通の問い合わせメールから始まった。
全国に知られる観光地でありながら、民宿以外の宿泊施設がない。全国的に名の知られた町でありながら観光シーズンに偏りがあるため大規模な施設は難しく、訪問者は近隣の街に流れて行ってしまう。町有地を借り、観光協会自身が建築資金を負担して、「旅籠屋」がホテルの経営と運営を行う、というスキーム=枠組みである。町役場、町議会、地元の金融機関への提案と説得も進んでいるという。
国の補助金や大手ディベロッパーの投資を待つ他力本願ではなく、町自身が資金を調達しリスクをとって宿泊施設を実現しようというアイデアと熱意に目からウロコが落ちる思いだった。これが実現すれば、全国の自治体が自力で施設誘致を行い、自ら地域振興を具体化する画期的な先例になる。損得計算は二の次で、この計画に参加するのが「旅籠屋」の使命だと即断した。

間を置かずに建物の基本計画や出店条件をまとめ、現地に向かった。町長さんや議会議長さん、担当部署の方々を前にプレゼンを行い、皆さんの熱意と理解を確認することもできた。あとは、議会の承認をいただくだけという段階を迎えた。昨年末の話である。

しかし半月後、冒頭にも書いたとおり、計画は突然すべて白紙に戻ってしまった。たったひとつ、観光協会が行う借入れについて、町が銀行に対する損失補てん契約を行う点についてトップの決断が得られない、そのハードルだけが越えられなかった。
調べてみると、夕張市が破綻した後、総務省から自治体による損失補てんは原則禁止という指導が行われたとのこと。あくまで原則だから、首長判断で踏み切ることは可能なのだが、簡単な決断ではないということらしい。長期間にわたる責任が生じることを考えれば、慎重を期したいという判断も理解できないことではない。

こうして、九州への初出店の話しは幻に終わってしまった。もちろん、同時に通常の出店の話しは進んでいるから、遠からず「旅籠屋」は九州のどこかでオープンするだろう。しかし、そこに住む人たちが皆の知恵と勇気と意志が光り輝やく一灯は掲げられることなく消えてしまった。

残念である。ほんとうに、ほんとうに残念である。しかし、こうしたスキームはどこでも応用できることである。きっと、いつかどこかで・・・。

2012年1月20日 個人保証なしの融資
前回も書いたが、昨年末、念願の代表者個人保証なしの融資が実現した。
ひとつは東京都民銀行(期間1年)、もうひとつは商工中金(期間5年)である。
いずれも、これが初めてのおつきあい。当方から求めたことではあるが、いっさい何の保証もなく融資いただけたことに感激するとともに、正直少し驚いている。当社の事業の将来性や堅実な経営を評価いただいた結果であるとすれば誇らしいことだが、未上場企業において例外的なことであることを考えれば、担当者および支店長の熱意と英断に敬意を表したいと思う。

それにつけても、10年以上も前から取引きいただいてきた金融機関に踏み切っていただけなかったのは残念だった。それぞれの事情はあるのだろうが、金融機関も昔のような横並び体質は変わってきているようで、先例にこだわらない判断を強く求めたいと思う。

そもそも、安定して事業を継続している企業の長期的な発展を考えれば、創業者個人に永続的な関与を求めることは事業の承継を困難にすることを含め健全性を阻害する面があり、今回のケースが中小企業にとっての画期的な先例になればと願っている。

2011年12月5日 小さな一歩

以前にも書いたことだが、1年半ほど前から、取引先金融機関に対し、「今後は借入の際の社長の個人保証条件を外して欲しい」と要請してきた。
十数年前、初めてプロパー融資を行っていただいた信用金庫や、初めて融資いただいたメガバンクには恩義を感じており、真っ先にお願いしてみたのだが、「先例がない」という理由で断られてしまった。取引年数も長く、当社の状況もよくご存知のはずなのに残念なことだった。やはり、金融機関は保守的で、相変わらず横並び体質なのかもしれないと思った。
しかし、諦めるわけにはいかない。設立当初の企業や同族経営の会社ならば一定の合理性があるが、株式会社として社会性と継続性を重視する企業にとって、社長の個人保証は健全な発展の阻害要因となる。不合理な慣習に挑戦するのは当社のDNAであり、存在価値に関わることだからである。「それでは、今後のお付き合いは難しくなります」と意地を張ってきた。幸い、運転資金に困ることはない。

こうして状況が変わらないまま1年が過ぎた。

ところが、今秋「勇気ある経営大賞」の優秀賞受賞のおかげでいくつかの金融機関から「新規の取引を」というお誘いをいただき、同じ条件を提示したところ、ひとつの銀行から「問題ありませんよ」という回答をいただいた。最初は半信半疑だったが、初めての取引にも関わらず、物的人的担保もなく、金利条件も変わらずにすでに融資が実行された。

小さな一歩かもしれないが、ベンチャー企業としての役割を果たせたという意味で、正直嬉しい。

先に書いた三菱東京UFJ銀行の口座もとうに解約した。
これは、何のために企業があり、社会的意義や責任というものをどう考えるかという根本問題なのだ。

2011年11月19日 我が家の111111

2011年11月11日、婚姻届けや記念切符を買い求める人々のニュースが報じられていたが、
我が家では、愛犬が5回目の入院から戻るという、不安と喜びで心落ち着かない日となった。

最初の入院は、9月25日、歯茎にできた腫瘍のための検査入院だった。
病理検査のために軽い全身麻酔で細胞をとるだけのはずが、翌日から体調が激変し、2度目の入院。
さらに腹部からの出血と高熱により、半月に及ぶ3回目の入院。
腫瘍の治療どころか、下腹部、胸、両前足の皮下脂肪が壊死して血と膿が流れ続ける異常事態となり、死を目前に緊急輸血で命をつなぎ、必死の治療が続けられた。
毎朝毎晩、好物の料理を持参してわずかな散歩と食事を与える病院通いの毎日が始まる。

ところが10日後、最悪の状況を脱したかに見えた矢先に、今度は右後ろ脚の股関節脱臼。
これはもう元には戻らないと聞かされ、絶望的な気持ちになった。
この頃が、最悪の時期だったかもしれない。

数日後、病院にいるよりも家で介護する方が良いという判断で、退院。
獣医さんが毎日のように往診してくれ、壊死して開いてしまっている胸や肘の部分を麻酔無しで何回かに分けて縫い合わてくれる。
少しずつではあるが、傷口は狭まり、出血も減って、生気が戻るのがわかる。
しかし、ここまでは当面の危機的症状を抑えるだけで、抜本的な治療は何も始まっていない。

そして2週間、今度は陰部からの出血がひどくなり、各所の炎症は子宮が元凶ではないかとの疑いが濃厚になり、専門施設でCT検査。
予想通り、子宮・卵巣・脾臓の一部に異常が見つかり、急遽、摘出手術を行うことになる。4回目の入院。あわせて、歯茎の腫瘍切除手術も行う。
これで、3つのうち2つの原因にメスを入れたことになる。

幸い術後の経過が良く、翌日には退院。
たしかに、元凶を取り除いたおかげで、下腹部や胸・両肘の傷口も目に見えて治まっていく。
ところが、1週間後、脱臼している後ろ脚の痛みのせいか、歩こうとしなくなる。 このままでは、筋肉が萎え、腰にも異常が出てくる危険性があるらしい。 もっと先になってからと思っていたが、ここで、とうとう右後ろ脚大腿骨の骨頭切除手術を決断する。
大型犬では賛否両論あるらしいが、「骨同士の接触による痛みがなくなり、筋肉の回復によってかなりの程度自由な歩行が可能になる」という医師の強い勧めに従うことにした。
そして、11月10日、5回目の入院で、骨頭切除手術。
翌日、どんな姿で戻ってくるか不安でならなかったが、ちゃんと右脚を地面について歩いてくる。嬉しそうに尻尾を振りながらすり寄ってくる。
「痛い思いをするのは、これで終わったからね」と言いながら、抱きしめる。

そしてきょうで、丸8日が過ぎた。
食欲旺盛、寝てばかりいたのにすぐに起き上がり散歩に行きたがる。 ソファにも上ろうとする。
明らかに痛みが減っているのだろう。普通の生活に戻ろうとしている。
このまま少しずつ関節周りの筋肉を戻していけば、半年ほどで走れるほどに回復する可能性もあるという。
走れなくてもいいから、ストレスなく自由に歩き回れるようになれば、それが彼女にとって何よりのことに違いない。生活の質が保たれる。
今6歳。大型犬の寿命は短いが、それでもまだ半分。この先、1日でも長く生き生きと暮らしてほしいと祈るばかりだ。
今、ソファの脇で穏やかに眠っている。
それだけで、嬉しくてならない。

この2ヶ月、仕事もほんとうに忙しく、膝の故障もあってランニングも間が空いてしまっている。
吐き出したい思いも溜まっているのだが、心身ともに余裕のない毎日だった。
しかし、ようやく愛犬の病気もようやく快方に向かい、心も少しラクになってきた。
やりたいこと、やるべきことは山のようにあり、際限ないのだが、そろそろ、立ち止まってこの日記に書き付けていこうと思う。

2011年9月9日 旅籠屋の生命線

本日、予定通り定時株主総会を開催し、初めての配当実施の件も承認可決された。
振込先を登録されていない方々には、領収証を郵送し、これを所定の金融機関の窓口に持参いただき、現金を受け取っていただくことになる。所定の金融機関は、三菱UFJ信託銀行、りそな銀行、三井住友銀行の3行である。
これらの銀行には、事前に配当金支払事務委託依頼を行ったわけだが、じつは別の銀行に断られた経緯がある。
三菱東京UFJ銀行である。

グリーンシートに登録して以来、当社の株式事務代行は三菱UFJ信託銀行にお願いしているが、信託銀行は支店の数が限られているため、全国に支店網を持っている都市銀行も加えたほうがよいということで、系列の三菱東京UFJ銀行に問い合わせたわけだ。

当社が口座を持っているのは東京本店営業部なのだが、担当者はいかにも面倒くさそうに「窓口業務を含め、事務受付を行っていないので、受けられません。別の支店に問い合わせてください。その支店が受付を行うかどうかは支店の判断です」と繰り返すばかり。
まさか断られるとは思っていなかったし、納得できる説明ではなかったので、翌日上席の方と電話で話しをした。

頭をよぎったのは、17年前、会社設立の際に、資本金の保管証明書の発行を断られた悔しい記憶である。
(2000年7月20日の日記に「最近、頭にきたこと」と題してその経緯を書いているので、参照ください。こちらです。)

法的に義務付けられたことではないとはいえ、経済活動のインフラを支える企業として、原則無条件に受託する社会的責任があるのではないか、というのが私の言い分で、上席の方も「個人的には理解できますし、申し訳ないと思いますが」と言っていただいたものの、「総合的な判断として、お受けできないのです」ということだった。

17年前、第一勧業銀行に保管証明書の発行を断られたあと、大嫌いなコネを使って三和銀行に引き受けてもらったのだが、考えてみたらそれは現在の三菱東京UFJ銀行ではないか。その事実を申し上げたら、「再度、協議してみます」とのことだった。
しかし、数時間後「昔のことで当時の書類も破棄されており、結論は同じでした」という返答があり、話しはそこで終わってしまった。

一部の大企業に特化するという方針なのだろう。
保管証明書の発行も配当金支払事務の受託も、反社の問題を含めトラブルに巻き込まれるリスクを負いたくないということなのだろう。
そうした理由を正直に明かすこと自体が批判の対象になるということで「総合的判断」としか答えないのだろう。

情けないなぁ。残念だなぁ。日本を代表するリーディングカンパニーなのだから、尚更である。
銀行としての社会的使命感は、どこで置き去りにされてしまったのだろう。
風評やいわれなき批判には胸を張って仕事をする姿勢は、どこで失なわれてしまったのだろう。

17年前の一件以来、当社はみずほ銀行との取引はいっさい行っていない。
今後、 三菱東京UFJ銀行との取引もすべて行わないことにした。
自動引き落とし先の変更がすべて終わったら口座も解約する。私個人の口座も閉じることにした。

こんなことをしても、先方には痛くも痒くもないことだろう。
だから、自己満足にすぎないこともわかっている。
腹いせでそうするわけではない。ケンカするつもりも毛頭ない。
ただ、このままにしてしまうと、なにひとつ状況が変わらない。
理由も明らかにせず、取引を拒むということに対して、当社としては預金口座を解約するということでしか異議申し立てをする方法がないというのも情けない限りだが、万に一つの可能性であっても、声なき声が届いて欲しいという願いを込めてのことである。

「仕方ないよ」と諦めず、世の中の大勢や「当たり前」に流されずこだわりを持ち続けることがベンチャー企業の存在意義だというのが当社の信念である。
借入の際の経営者の個人保証の撤廃についても、粘り強く「慣例」の見直しを求め続け、ようやく突破口が空けられそうな状況が見えてきている。
旅籠屋のためだけに言っているのでは断じてない。当社が先例となることによって、後ろに道ができる。思考停止の停滞に風を送り込むことができる。そう期待し、願ってのことである。

先例のない事業を興してきたこと、小企業でありながら信頼を得てきたこと。
この信念と姿勢が旅籠屋の生命線である。

2011年8月30日 初の配当、初の役員賞与

節電に協力しようというわけで、今年、本社はいっせいに夏休みをとった。
店舗がもっとも忙しく大変な時期に、という後ろめたさもなくはなかったが、それぞれ役割が違うのだし、そんな表面的で形式的な気遣いは無責任の裏返しだと割り切った。休み中といえども、問題があれば対応する。本社機能を停止するというわけではない。

6月末が決算日なので、例年7月に入ると会計監査が始まり、複雑な決算手続きに忙殺される。
四半期決算もそうだが、だらだらと長引かせたくはない。遅くとも1ヶ月前後で公表したい。
規定では45日以内にリリースということになっているようだが、見る方だって、2ヶ月近くも前に終わった「過去の状況」では興ざめだろう。

会計監査というのは、一言で言えば「あら捜し」のようなものである。会計基準そのものが朝令暮改だったり、異常に複雑だったり、合理性を欠く部分が多いこともあり、監査の過程で監査法人の公認会計士と議論することも少なくない。
企業の状態を適正に表示するために、誤りや不正がないかをチェックする、この点に異論はないが、以前書いた「ファイナンスリース」の処理など、多くの人がにわかに理解できないような基準を持ち込むのは一部専門家の自己満足ではないかと思ったりもする。

そんなこんなで、ほんとうに面倒くさい1ヶ月が続くのだが、否定的にとらえているわけではない。年に一度の「会社の健康診断」のようなものだ。胃に潰瘍の痕が見つかったり、血圧の高さが指摘されたりするが、その方が良い。自覚症状がないので健康だと思っていたら手遅れの病気だったなんて許されない。会計監査はグリーンシートに登録したことによる「義務」なのだが、ありがたい「権利」とさえ言いたいところだ。

さて、こうして8月5日に「第17期決算速報」をリリースし、その数日後には「株主総会の招集通知」を納品した。
そこには、初めての議案がふたつある。 ひとつは配当金の支払い。もうひとつは役員賞与の支払いだ。
昨年の減資によって累積損失がなくなり、黒字決算が継続できたことで具体化できたことだが、会社設立から17年かかった。

黒字とはいえ、利益は1千万円ほどだから、内部留保すべきだという迷いも意見も当然あったが、慎重に考えていたらキリがない。
配当は1株1,000円で6,245,00円、役員賞与は経常利益の10%で1,800,000円。初めて報われる。感無量である。
黒字を着実に増やして、これをずっと継続したいものだ。

2011年4月26日 「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値
震災の発生から、1ヵ月半の時間が過ぎた。
いろいろなことが起こり、いろいろなことを考えた。

以前、株主の方から、「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値が見えない、という指摘を受けたことがある。
当時は抽象的な言葉でしか答えらず、あえて返事をしなかったが、今回3つのことをお話したいと思う。

ひとつめの価値、それは空室のある限り、すべての方の宿泊を受け入れたということ。
我々は予断・偏見・先入観にとらわれずにお客様を受け入れることを大切にしている。その姿勢を貫くことが個人の自由や多様性を守ることなのだという信念がある。さらに言えば、日本がこうした個人の自由や多様性に寛容な社会になって欲しいという願いがある。
平時は、こんなことを言ってもなかなか理解してもらえない。あるいは、当たり前のことだと見過ごされてしまうが、ペット同宿を受け入れたり、利用頻度は低くてもバリアフリールームを設けたり、というのは同じ思いからである。
地震直後、30店舗のうち10店舗で、停電や断水が発生した。真っ暗で暖房も給湯も困難、水が出ないのでトイレも流せない。それでも、被災地に近い店舗には家を失った方々が訪ねてこられる。数日遅れて、原発周辺からの方々も増えてくる。宿としての最低限の機能も提供できないので、無償で受け入れるよう指示した。福島ナンバーの車を忌避するなど、考えもしないことだった。
放射能汚染に限らず、新型の伝染病が流行したり、テロや「異常な」犯罪が頻発したりすると、宿泊拒否の話しが聞こえてくる。宿泊施設は、社会の空気にさらされている。風評に惑わされがちな感情と科学的な理性とのせめぎあいの場所にある。
宿泊特化の宿には、ユニークで特別なサービスなどない。だから、否定的な風評にさらされれば、たちまち利用者は引いてしまう。「真偽や是非はともかく、あえて評判の悪い宿に泊まることもないだろう」というのが、大方の本音なのだ。だから、宿の側は空気に逆らわないように保守的になる。
こうした中でスタンスを守るのは、実は想像されるよりはるかに困難なことだ。大きな手間とリスクを引き受ける覚悟を求められているということなのだ。

ふたつめの価値、それはホームページ上で、宿泊者の安否情報を最優先で伝えようとしたということ。
宿泊施設は、ほんの一部とはいえ、利用者にとってのかけがえのない人生の時間や空間を提供している。だから、泊まられる方々の安全やプライバシーを守ることが最大の責務である。そして留守宅には無事の帰りを待つ家族や友人や同僚がいる。
過去と同じく、今回も地震発生直後に行なったのは店舗へ連絡し、けが人の有無を確認し、その情報を真っ先にトップページに掲載することだった。
他の宿泊施設のホームページを見たが、翌朝まで更新されない施設が多かった。そして、予約受付の可否や、通常営業しているかどうかの情報が中心だった。
電話の通じない地域が多かったし、一番大切にすべき気持ちやメッセージが抜けている気がした。
余談だが、「ファミリーロッジ旅籠屋」の建物が地震に強いことをあらためて確認できた。せいぜい一部に細かなクラックが生じた程度である。地面が波打って、駐車場の一部が20cmほども陥没した店舗もあったが、建物はまったく無事である。遮音性能向上の工夫が、結果として堅牢な構造を実現しているようだ。
とにかく、人も建物も無事でほんとうに良かった。

みっつめの価値、それはぎりぎりまで踏みとどまり営業し続けたということ。
残念ながら、「仙台亘理店」(ライフラインがすべて途絶し、来館者もほぼ皆無だった)、「いわき勿来店」「須賀川店」(福島原発が不測の事態を招く危険性が高い時期があった)の3店舗が一時閉鎖を余儀なくさせられたが、いずれも10日ほど後に営業を再開した。
頻繁に起こる余震や、停電や断水が続きガソリンや食料も手に入らない不自由な生活、そして放射能汚染の目に見えない恐怖。支配人の不安や疲労は察して余りある。こうした状況の中であえて支配人に現場復帰を求めたのは損得ではなく使命感だった。
避難であれ、支援であれ、復旧であれ、復興であれ、人が動き活動するためには泊まる場所が必要なのだ。こうした時期に被災地へ赴く人たちには強い意志と責任感がある。こういう時だからこそ店を開けて宿泊施設としての責務を果たしたい。こうした使命感への理解がなければ、支配人達が復帰してくれることはなかったと思う。

以上3つのことは、考えてみたら当たり前のことばかりだ。
照明は必要以上に明るくしない、使い捨てのアメニティグッズは置かない、安心してお泊りいただくこと以上のサービスはしない、不採算店であっても撤退しない。こうした普段からこだわっていることを含め、いずれも地味なことで、普段はセールスポイントになるようなことではない。そのくせ、守ろうとすると事業経営の面ではマイナス面もある。
でも根っこはひとつなのである。
ポイントカードによる顧客の囲い込み、割安感を維持するための料金見直し、ターゲットをしぼった広告戦略、朝軽食メニューの充実、さまざまなご提案をいただく。ありがたいことだし、そういうアイデアを機敏に取り入れることが経営者に求められる才覚のひとつなのだろうとも思う。
しかし、どこか気乗りしない、小手先のテクニックを弄するのはさもしいと感じてしまう。
根っこは同じである。

少なくともロードサイドホテルは旅行者のベースであって、アミューズメント施設ではない。雄弁に語る外向きの演出や集客の策よりも、いつでも安心して宿泊できる宿が存在し続けているという確かさを中心に考えたい。
このようなことが「ファミリーロッジ旅籠屋」の価値であり、「らしさ」なのだということをこの機会に再評価いただければという願いがある。そして、社内ではしっかり共有して欲しいという強い思いがある。

震災の発生から、1ヵ月半の時間が過ぎた。
さまざまの難しい判断があり、さまざまの行動があった。
感情の力があり、意志の力があった。
しかし、根底で支えていたのは誇りだったと思う。
誇りを真摯に守り続ければ、品格につながると思う。
そういう会社を目指したい。


 
バックナンバー(過去の日記)です

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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら