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1999年
1999.1/31 ワクチン教育
1999.10/10 9ケ月ぶり
1999.10/31 五十肩
1999.11/19 増資
199.12/31 クラプトンとベック

1999年1月31日 ワクチン教育
子供たちが中学や高校を卒業する年頃になり、「進路」について話しをする機会が増えた。夢がない、問題意識が低い、現実的なイメージを持っていない。ついつい「お父さんの若い頃は違った」なんて上から説教するような口調になる。
しかし、青年だった頃の自分を冷静に思い返してみると、問題意識だけは旺盛だったが、同じように世間知らずだったし、先のイメージを描きかねていた。そして、その後実際にたどってきた道のりも偶然に支配され、試行錯誤の繰り返しだったようなのだ。人生に計画的な意思を持ちこむこと自体、必ず意味のあることかどうか怪しくなってくる。
水場のそばまで行っても、水を飲むかどうかはその時点での意欲や好みの問題であり、結局人生はその連続に過ぎないかもしれないからだ。

ただ、ひとつだけ強く願うのは、喜怒哀楽の色の薄い退屈な人生に埋もれて欲しくないということ。外から平凡に見えるかどうかではなく、心のうちで確かな手応えを感じる日々を生きてほしい。何もしたくない、何も欲しくない、誰にも会いたくない、という鬱に囚われる人生はつらいだろうと思う

今の社会、とりあえずは戦争や飢餓や貧困といったリアリズムから遠ざかり、子供たちはその社会からも隔離されている。意欲を持つことも、反発することも、目標を持つことも難しいに違いない。「求める」という意識の結果として「手応え」があるのだとすれば、子供たちの置かれている環境はつまらない人生をおくるためにあるようにさえ思えてくる。

そこでひとつ提案。子供たちがもっといろいろな実体験をできる、「現実の試体験」とでも言うべき機会を多く与えてみてはどうだろうか。教室を出て、いろいろな仕事の現場で、見学ではなく一定期間お手伝いをする。言葉による説教ではなく、物事の原因と結果を体で味わう。

例えば、高校生のバイク事故や暴走行為を減らすために行なわれている「免許を取らない、バイクを持たない、乗らない」という「3ない運動」。そのかわりに、校庭で実際にバイクに乗せ、転倒のショックや急ブレーキのパニックを経験させるというのはどうだろう。

少なくとも私の場合、安全運転や交通ルールの必要性は、自分がケガをした時の痛みや、事故の恐怖をとおして学んだ。生きていくことの大変さや自分という人間の自覚は一人暮しをしながらのプータロー生活の中で見つけた。経験をとおして「楽しさ」や「喜び」を感じて「意欲」が生まれることもあれば、逆に「痛み」や「苦しみ」の中でそこから逃れたいという「欲求」に動かされることもある。

わずか数十年前、私の両親達の世代はもじどおり「戦争と飢餓と貧困」の中で子供時代や青年時代をおくっていた。彼らの経験した現実が、彼らのパワーの源となり、その後の時代の活力となったと思う。かと言って「戦争と飢餓と貧困」の時代が良いはずはない。免疫力のない子供たちに過大な刺激を与えて、心身に壊滅的なダメージを生じさせては元も子もない。だから「ワクチン教育」。「現実」に触れることのプラスの面を生かすために、試体験の機会を増やしてはどうかと思うのだ。

人為的に仕組まれた人生経験、ある意味でこれはちょっと不自然なことかもしれない。しかし、歩く機会が減った大人達がスポーツジムに通うように、恵まれてしまった子供たちが「ワクチン教育」を受けることも認められてよいことなのではないか。無茶苦茶を承知で言えば、私は大学受験の受験資格として、1〜2年間の勤労経験を義務付けることさえ検討して欲しいと思う。

これらのこと、実は子供たちに限ったことではない。人間は40歳にして惑わず、なんてことはウソだ。いくつになっても生き生きとして生きていくために、つぶれない程度にいろいろな試行錯誤ができる「ワクチン」が用意されているような、フレキシブルで多様性に寛容な社会になって欲しいと思う。

1999年10月10日 9ケ月ぶり
なんと、この日記も9ケ月も空白になってしまった。
ホームページを大改築したのを機に、また、少しずつ考えていることや感じたことなどを書いていこうと思う。
チェーン展開を具体化しようと動き回っているうちに、接する世界が広がり、また変化している。ベンチャー企業を取り巻く環境について、ユニークなレポートが書けるかもしれない。
しかし、いつものことながら、ホームページの改築はたいへん。昨夜、とりあえず全ページ更新したものの、あちこちに変な所が出ている。片っ端から直しているところですが、しばらくはおかしな部分が残ると思います。ご容赦ください。
1999年10月31日 五十肩
なんとも冴えない話題だが、目下、私の最大の悩みは日本経済の低迷でも、「秋田六郷店」の集客でも、浦和レッズのJ2降格でもなく、今年の4月から続いている五十肩だ。
突然、右肩に痛みを覚えるようになり、マッサージに通ったり、整形外科の診察と治療を受けたが、症状は重くなるばかり、腕を上に上げたり後ろに回すことも出来なくなってしまった。本を読み漁り、ネットで情報を収集したが、結論は整形外科医の診断のとおり「典型的な五十肩」とのことで、通常半年から1年かかる自然治癒を待つしかないとのこと。
この痛みは、なんの病気でもそうだが、経験した者にしかわからないが、腕の動きが極端に制約されるだけでなく、ちょっと許容範囲を超えて力を入れると激痛が走り、就寝中に痛みのショックで目覚めることもしばしば。起きている間もズキズキと肩関節がうずき、重症の肩こりが何ヶ月も続く。
さわやかなはずの朝の目覚めを失い、起きていれば四六時中の不快感にさいなまされ、仕事への集中力が阻害されることはなはだしい。
原因は「老化と運動不足」とのことで、誰を恨むことも出来ず、また経験のない人からの理解や同情も得られず、いまだ抜本的な治療方法も発見できない現代医療の無力を嘆きながら、ひたすら与えられた運命を甘受するしかないという次第。
以前、手首の腱鞘炎を患ったことがあり、その時も半ば回復を諦めた頃に痛みが和らいでいったことを思い出し、このまま痛みとともに生きていくしかないと、ようやく諦観の境地に近づいたと思ったところ、なんと9月に入って、頼みの左肩にも同様の症状が発生。医学書には、左右同時の発症は稀、とあったのにと、自分が常に「一般的なマジョリティ」に属しているはずと疑わなかった不覚を思い知り、やっとつかみかけた「病とともに生きよう」という殊勝な心もズタズタに引き裂かれる。
しかし、まぁ、気がついてみれば、右肩は発症から半年、医者の予告どおり、左肩の悪化と反比例して痛みは峠を越し、かすかに快方の兆しが見えつつある。
このまま行けば、来春には右肩がほぼ治癒し、左肩も快方に向かい始め、来秋には痛みから解放され、自分ひとりでストレスなくワイシャツを着たり、風呂で背中を洗えたりするようになると予定しているが、さてことは計画どおり進むのかどうか。
それにしても、仕事がようやく軌道に乗り始め、もっとも気力体力が要求されるこの時期に、なんと1年半もの間、わが身の内からの反乱に遭遇するとは・・・
40代を迎えたみなさん、日ごろから運動不足には注意しましょう。
いつまでも、ぐるぐる回ると思うな、肩と金。オソマツ
1999年11月19日 増資
トップページでもご案内しているとおり、当社は11/15にVIMEXに登録して、現在、公募増資中である。
設立6年目ということはともかく、日本に前例のない事業を行っている赤字企業が広く投資を求めて資金を調達できる機会を得られるなど、ほんの数ヶ月前までは想像もしなかったことである。夢のようだ。
A火災保険・Mさんの紹介で知遇を得たN生命・Kさんに連れられてディーブレイン証券を訪ねたのが9月末。おそらくは「面白そうな事業ですね。いつか、機会があったら検討してみましょう」というくらいの反応を予想していたのが、とんとん拍子に話しが進み、わずか1ケ月半で公募開始である。
公認会計士による会計監査、ディスクロージャ資料の作成、証券業協会や財務局への届け出。おそらくは一般の株式公開とほぼ同様の作業と手続きを経て、未知のステージの入口に立っている自分がいる。
限られた自己資金と、残念ながら乏しい信用力に歯軋りしながら、2ケ月前までの私は、「焦っても仕方がない。1軒1軒コツコツと店を増やしていこう。そして、いつかは株式公開できるような企業に育てていこう」と考えていた。だから、ナスダック・ジャパンや東証マザーズなどの華々しい話しも、当面は自分とは無縁の世界の話しだと、ただ憧れているしかできなかった。それが、こうした公開市場への前段階とはいえ、一般投資家の前で事業計画を発表して1億円近くもの出資を募るなんて・・・繰り返し言うが、ほんと夢のような話しである。
この1ケ月半、知らなかった世界に触れ、学んだこと、刺激を受けたことは実に大きい。
多くの人から「株」という形で資金提供を受けて事業を具体化していく、株式会社本来のシステムを再認識できたこと。会社は経営者のものではなく、本質的にはオーナーである株主のものであると諭されたこと。事業の将来性を明示できればこれを評価して投資いただける場が日本にも存在していることを実感したこと。どれも大いに私の意識を揺さぶることばかりだった。
15日に新株式購入の申込み受付開始、そして17日ときょう19日の投資家向けのプレゼンテーションを終え、無茶苦茶に忙しかった準備作業も一段落した。あとは12月13日の締め切りまでにどれだけの申込みをいただけるか、ドキドキしながら反響を待つしかない。
精一杯、そして正直に「旅籠屋」の事業のコンセプトと将来性を訴えたつもりだが、基本的にローテクビジネスであり、1年や2年で爆発的な利益を得られるという計画にはならないため、投資家の皆さんにどれほど魅力を感じていただけるか、一抹の不安はある。でも、それは仕方のないことだ。逆に会社の過去と現在を丸裸にし、しかも将来への不安要素もすべて明らかにしたわけだから、私自身は妙にすがすがしい気分だ。
こうした場を創設したディーブレインの出縄社長の志にエールを送るとともに、毎日深夜までサポートいただいた同社のスタッフに素直に感謝したい。そして、こうした場が着実に成長し、多くの起業家に力を与える存在でありつづけて欲しいと願う。
当社、そして私に課せられた責任を痛感する次第だ。
1999年12月31日 クラプトンとベック
昨夜、BSでエリック・クラプトンジェフ・ベックの来日コンサートの映像が続けて放映された。クラプトンは武道館に見に行ったし、ベックのは再放送で見るのは2回目だったけれど、やっぱり最高で興奮してしまった
歳がばれるが、2人の音楽を聴き始めて、もう30年近くになる。ヤードバーズからブルースブレイカーズを経てクリームを結成していたクラプトン。ヤードバーズを脱けてロッド・スチュアートとグループを結成していたベック。彼らは高校生だった私にとって文字通りのスーパースターだった。
そんな彼らも、もう50代半ば。いろんなことがあったようだが、いまだにバリバリの現役で、しかもパワフルで緊張感あふれるロックやブルースを聞かせてくれる。昔の名声などととは関係ない、今この時点でも最高のプレイを聞かせてくれる。素晴らしい。そして、彼らの音楽に素直に感動できる自分であることも、嬉しい
あと、20時間あまりで今年も終わる。普通なら、この1年を振り返り、来年に向けて事業の発展を期す、というところなのだろうが、ひとりの人間としての私にとっては、ブルースやバイクといった30年変わらずに自分の一部であった世界も生きていくのに必要不可欠のものだ。自己実現・・・語弊を恐れずに言えば、3つとも大切だし、これらが複合的にからみあう生き方をしたいと思う。説明は難しいが、これらが共通のイメージで結ばれていることが、私にはわかっているからだ。
しかし、こんな発言、日本では否定的に受け取る人が少なくないんだろうな。好きなものは好き。少なくともベンチャー企業にとって、事業のポリシーとか理念とか哲学というものは、個人のセンスに依拠しているのが当然だし、必要なことだと思うのだが、いかが?

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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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