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バックナンバー

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2001年
2001.2/1 それぞれの人生
2001.2/4 ストラトキャスター
2001.3/16 あるベンチャーキャピタリストへ
2001.4/5 未だ出会えぬ人
2001.4/9 文章って怖い
2001.4/20 偽ネットワーク技術者
2001.6/15 深夜の楽しみ
2001.8/17 夏、休む
2001.9/19 私は、「報復戦争」に反対です
2001.10/14 マスコミのセンス
2001.12/9 「旅籠屋」の値打ち
2001.12/22 マイブーム
2001.12/23 気持ち

2001年.2月1日  それぞれの人生
正月に、昔いっしょに映画をつくっていた仲間たち5人で集まった。25年ぶりの再会もあった。頭が薄くなって帽子をかぶっている奴、すっかり白髪の増えた奴、でも、それらを除けば外見はそう変わりはない。
商社マン、弁護士、映画監督、ハウスハズバンド、ベンチャー会社社長。こう表現すれば日経新聞の交遊録のネタになりそうな華々しさだが、別の表現をすれば・・・
やめておこう。みんな、それぞれに「肩書き」や「職業」などでは計り知れない25年間の時間があり、今の生活がある。会話の端々に重たい現実が見え隠れするが、あえて深入りはしない。それで良いのだ。「また会おう!」そう言いあって別れたが、その時の笑顔がなぜか嬉しかった。

新しくオープン予定の店舗の支配人募集などで、昨年暮から10組以上のご夫婦に面接させていただいた。年齢は40代から60代。ふたりそろっての面接であり、それぞれのご夫婦の人生が垣間見えてくる。年上の方に立ち入った質問をしなければならない場面では、心苦しい。思わず向こう側に座っている自分を想像してしまう。

それぞれの人生。要するにそういうことだ。それにしても、波長のあっている夫婦っていいね。

2001年2月4日  ストラトキャスター

昨夏、下の息子にねだられてギターとアンプをプレゼントした。ギターはフェンダーのストラトキャスター、アンプはマーシャルである。知らない人にはまったく伝わらないことだけれど、かつてロック少年であった私(今もそうだな)にとっては、いずれも夢のような憧れのブランドだ。御茶ノ水の楽器屋街で買い求めたのだが、驚いたことにそういうブランドの品々が信じられないような値段で売られている。日本製だから多少値打ちは下がるといえ、あの「ストラト」が2万円くらいから買えるのだ。マーシャルのアンプだって個人練習用のような低出力のものだから同じような値段。あわせて5〜6万円なのだから、私はすっかり浦島太郎になっていたわけだ。さっそく家に持ち帰って音を出してみたのだが、これまたびっくり仰天。下手くそな私が弾いても、あのシャリシャリ・パキパキあるいはメロウなあのストラトの音がするのだ。アンプも抜けのいい、あるいは適度に歪んだパワフルな音がするのだ。まるで、自分がクラプトンかベックになったような幻想にとらわれる瞬間がたしかに味わえる。
30年前、フェンダーとかギブソンとかのロゴの入ったギターはガラスケースに入っていたのではなかったか。マーシャルなんてプロのステージ写真の中だけの存在ではなかったか。それが今
自分の腕の中に抱かれて、それらしい音を出している。あーなんという幸せ、なんという悦び。あの頃、ありったけの金をはたいて買ったレスポールもどきのアリアのギターはこんな音で私に幻は見せてくれなかったぞ。
冷静に考えれば、あの後も円の価値は上がりつづけていたのだ。

というわけで、私のギターへの興味は30年ぶりに呼び覚まされた。そして、辛抱たまらず、この正月明けに私も自分のストラトキャスターとフェンダーのアンプを衝動買いしてしまった。あわせて7万円くらい。自由になる金がほとんどない(これは本当のことです)私には無謀な出費なのだが、人生は老後のための貯金をするためにあるのではないという主義の私には充分に賢明な決断であったと、あえて言う。

今年に入って、出張などで家を空けることが多く、居ても仕事に追われてゆっくりギターにさわれる日も少ない。それでも部屋の片隅に置かれている「ブラッキーもどき」の姿を見るだけで私はドキドキするほど幸せである。

2001年3月16日  あるベンチャーキャピタリストへ

先刻は、お時間を割いていただき、ありがとうございました。
じつに残念ですが、致し方ありません。
結果は同じでも、率直な意見交換をさせていただいたことに、感謝しています。
当面、間違いなく無駄な時間と労力を強いられることは気の重いことですが、
「旅籠屋」の普及が、これからの日本と日本人に大きな可能性を与えることを信じ相変わらず努めていく所存です。

おそらく、こうしたナイーブな物言いが、違和感を感じられた点だったかもしれません。
事業は、こうした思い入れとは関係なく、自律的に利益を生み出す構造であるべきことは
無論のことなのですが、しかし
そのモデルを生み出し導いていく事業家には、密かに守るべき矜持というものがあり、
それこそがベンチャービジネスを起こす人間の存在意義なのだと、私は考えたいのです。

立場は異なりますが、時代に新しい可能性を提供していくという意味では ベンチャーキャピタリストも同様であるとは言えないでしょうか。
群盲の投資家の資金に意味を与えることが使命、と言えば非合理的と笑われるでしょうか。
ならば、そもそも
投資の合理性とは何なのでしょう?

ともあれ、「旅籠屋」が他の十の企業よりも投資価値のないという結果は無念でした。


未練がましい怨み言を申し上げるつもりはありません。
けっして皮肉ではなく、今後のご活躍を期待しております。素晴らしい仕事です。
頑張ってください。

2001年4月5日  未だ出会えぬ人
きょうは、半年前から準備していた「第三者割当増資」の払込期日だった。まだ、公式なIRを行っていないので、具体的な内容には触れられないが、残念ながらベンチャーキャピタルからの出資は一部にとどまってしまった。この点については、3/16付けの日記でも触れたが、20社を超える企業との協議をとおして、日本のベンチャーキャピタリストの実像の一部を垣間見ることができた。
いっぽうで、一昨年の公募増資の時に株主になっていただいた個人投資家の方などからは、予想をこえる支援をいただいた。目先の数字ではなく、間違いなく「旅籠屋」という企業とその事業をご理解いただいたうえでの追加出資であり、経営者としてこれほどありがたいお金はない。

株式市場のシステムは、純粋に損得の世界であることが存在の基本であることは間違いないことなのだが、人間の意思や意志が働くことを排除するものではないし、それこそが現在と未来をつなぐ市場メカニズムの妙味だと思う。
難解な指標や解析手法を用いて、企業の将来価値を算出する数式もあるのだろう。その点で評価すれば、リアルビジネスである「旅籠屋」は地味な存在なのかもしれない。しかし、多くの人が信頼し、期待し、共感すれば、それは間違いなく目に見える数字となって実現するはずだ。事業家の立場から見れば、それこそが事業の目的とか理念とか社会的意義と言えるものであり、もっとも大切にしなければならないものだと私は考える。
残念ながら、こうした点について理解いただけるベンチャーキャピタリストに、私は出会えなかったように思う。

そもそも、投資対象をベンチャー企業に特化するプロの投資家に必要なこと、それはいったい何なのだろう。
公開が見えてきた企業の匂いをかぎつける嗅覚?それも必要だろう。しかし、そんな程度でなら、おこぼれにあずかるハゲタカやハイエナに過ぎない。冷徹な計算と読みの向こうに、目に見えない新しい価値創造を仕掛けていく、それこそベンチャー企業への投資の醍醐味ではないのか。
プロの投資家に、事業家のロマンを共有して欲しいとは思わない。しかし、立場は異なっても、より高い次元で、共鳴できる世界があると、私は信じたい。
骨のあるプロの投資家はどこに隠れているのか。

2001年4月9日 文章って怖い
最近の日記を読んだ知人から「なんとなく心配」ということで連絡があり、久しぶりに食事をした。
「こんな文章を読んだら、投資家の人たちに否定的に受け止められるんじゃないの!」と言われて、「うーん、そういうものかなー」と驚いてしまった。「事業の方は着実にステップを登って、ようやく多店舗展開できる段階まで来たし、発言の裏にそういう自信があることをわかって欲しいなぁ」と答えたが、読み返してみたら、確かに弱気にとられそうな雰囲気が漂っていたかもしれない。
困った、困った。そうじゃないよ。逆なんだよ。ここまで来ても「旅籠屋」の値打ちを理解できない連中はホント
大馬鹿だって言いたいだけなんだよ。
でも、仕事とは直接関係ないところで何かとストレスが多く、気持ちが滅入っていることのは確かだ。文章って怖い。そういう気分が知らず知らずのうちにしみ出していたのかもしれない。しかし、問題の多くは一応の解決に向かって動き出した。あー、明日からは、仕事だけに全力投球するぞー。

時代が、社会が、「旅籠屋」のメジャーデビューを首を長くして待っている!
なーんちて。
2001年4月20日 偽ネットワーク技術者
天邪鬼の私は、ときどき「旅籠屋は、どうせローテクビジネスですから」などと、すねてみたりする。だが、ツールとして使っているという意味で言えば、この規模でこれほどネット技術を活用している企業は少ないのではないかと思う。
本社内のLAN、本社と各店舗を専用線で結ぶWAN、オリジナルのフロントシステム。もちろん、すべての情報は一元的にデータベースに集約されいる。加えて、ウェブサイトを開設して予約受付を始めたのは、もう4年以上も前のことだ。そのあたりの苦労話しはこの「旅籠屋日記」に詳しい。
しかし、残念なことに、当社にはPCの専門家もネットワーク技術者も存在しない。そんな人材を抱える余裕がない。その結果、しわ寄せは他でもない私に来る。昨年「那須店」近くに落雷があって、PCやルーターなどが即死した時の救急隊員は私である。つい数日前、「鬼怒川店」のネットワーク変更にともななうOSの入れ替えやルーターの設定に夜なべ仕事をしていたのも、この私である。
誤解のないようにくれぐれも言っておくが、「社長自らが出かけていってするような仕事じゃない」などという発想は私にはない。まわりに不平不満を言っているのでも、
もちろんない。きちんとわかってもいないくせに、仕方なくこうした作業を行って、何が間違っているかもわからず失敗を繰り返してしまうことがじつに情けないのである。
自慢ではないが、ITなるものが、仕事にどれだけの恩恵をもたらすか、そのために仕事の進め方自体をどのように整理統合すべきか、という点について、私はその本質をかなり的確に理解し、当を得たシステムを作り上げてきたつもりである。しかし、システム構築の個々の具体的な作業は、本来職人の領分である。そして、私には、聞きかじりの知識や我流の断片的な経験があるばかりで、しょせん偽ネットワーク技術者に過ぎないのである。
それなら、潔く専門家に任せれば良いものだが、その費用は「旅籠屋的には」とんでもない金額だったりする。そして、パソコン周辺には「もしかしたら、俺にも何とかできるかもしれない」という幻想を抱かせる雰囲気が漂っていて、背伸びしながらも試行錯誤を繰り返してきたという次第である。そして、結果的になんとかなっているから、始末が悪い。

ところで、この7月には「山中湖店」「沼田店」がオープンし、「旅籠屋」もいよいよチェーンらしくなっていく。人・物・金・・・あらゆる資源が不足しているという意味で、当社もベンチャー企業の典型なのだが、そろそろあらゆる面で態勢を整えていかなければならない段階に差し掛かっている。本社と各店舗を結ぶネットワークやその上で動いているソフトも、6月には抜本的なシステム変更を行う予定である。セキュリティの問題もあり、詳しくは書かないが、この変更によって、急速な店舗増加にも対応できるシステムとなる。ハードやシステムの設定・メンテも格段にシンプルになる。通信費もかなり割安になる。

というわけで、またまた偽ネットワーク技術者の出動となるわけだが、あー、もうルーターの設定だけはイヤだ。ほんとうに何がなんだかわからずに仕事するのはイヤだ。今から気が重い。ほんとうは、人の整備が何より必要なんだよね。

2001年6月15日  深夜の楽しみ
おかげさまで、3店舗のオープンが決まり、工事も順調に進んでいる。既存店も冬期の不調から一転して好調だ。正直言って、「那須店」「秋田六郷店」の1年目は期待値を下回ったが、2年目に入って稼動率・売上とも前年を大きく上回っており、ひと安心である。今後は、前年同月比という数字が出るから励みになる。それにしても、去年から今年にかけては毎日が試行錯誤の繰り返し、予期せぬトラブルや人に言えない苦労もあったが、チェーンオペレーションの貴重なノウハウを蓄積してきたことは間違いない。
というわけで、相変わらずメチャクチャに忙しい。
延々と忙しい。ホントいつまでたっても貧乏暇無しなのである。

ところで、思わせぶりなタイトル。なにも怪しい告白を始めようというのではない。夜更かしは楽しい、という健全な話しだ。

突然だが、ここで私の毎日の生活パターンを紹介しよう。
起床はなんと朝8時半過ぎ。通勤時間が
数秒だから(自室の隣がオフィス)、新聞を見ながらコーヒーを飲んで、それでも10時前にはちゃんと仕事モードに入れる。そのあとはその日のスケジュール次第だが、午後2時頃の昼食をはさんで9時頃の夕食までは電話や来客や雑用に追われながら「あーゆっくり仕事をさしてくれい」とわめきちらしながらドタバタしている。
そのあと夜も10時頃になり、あとはのんびり読書したり、ギターやハモニカの練習でもすれば、私の人生もずっと豊かになるに違いないのだが、知らず知らずのうちに扉を開けてオフィスのパソコンの前に座ってしまう。そうこうしているうちに11時を過ぎ、各店のフロントが閉まる時間になって「ガラガラじゃーん」とか「スッゲー、ほぼ満室!」などと一喜一憂し、日付が変わる頃扉を閉めて退社するわけだ。
疲れ果ててしまわないと仕事から上がる気になれない、そんな感じだ。

さぁここでおとなしくベッドにもぐりこめば肉体的には健康的なのだが、なぜか私にはどうしてもそれができない。毎朝のように「もっと早く寝れば良かった」と自分を責めているのに、誘惑に抗しきれず無意識のうちにテレビのスイッチを入れ(通常はヒストリーチャンネルかスターチャンネル)、また昨晩と同じようにダラダラと夜更かしをしてしまうのである。そのうち、2時頃になっていよいよ睡魔に襲われ起きていられなくなると一大決心をして床につくのである。

そもそもである。意欲を持って仕事に取り組んでいる人なら誰だって時間に追われているのが普通であって、ゆとりある暮らしなんて縁がないに違いない。しかし、大部分の人の場合、24時間365日、プレッシャーに神経をさらし続けることは不可能で、その人なりの方法で息抜きをして精神的なバランスをとっていると思う。寝る前の推理小説、通勤電車でのコミックス、パチンコ・マージャン、競馬にアルコール、ワイドショーにネットサーフィン・・・その共通点は一瞬でも「我を忘れられる」ことか。私の場合、それが深夜なんとなくぼんやりダラダラとテレビをながめることなのである。
あしたは土曜日、夜には東京に戻って(今「秋田六郷店」に滞在中)心置きなく夜更かしするぞ。

・・・ここまで書いて、やっぱりこういう習慣は本気で改めなければならないという気がしてきた。

2001年8月17日 夏、休む
忙しいのは、ある意味で幸せなことだ。一応健康ならではのことで、周囲と関わりをもっている証しでもある。思いっきり自由気ままな時間を渇望しているが、何もすることがなく、誰からも頼られない相手にされない毎日を想像すると、そんな自由は私には耐えられそうにない。だから、間違いなく今の私は幸せなのだ。そう自覚しなければいけない。

わかっているが、やりたいこと、やらなければと思うことが次々と積もって山がどんどん高くなる。周囲の目も気になって心穏やかでない。しかし、割り切るしかないと自分に言い聞かせる。旅籠屋の主人、はもらんの裏方、そして年老いた両親の息子、滅多に会えない子供たちの父親。八方いい人になりたいが、中途半端になるのがわかっている。

そう、今週は、お父さんする!と決めたのだ。勇気を持って、休む。いろんなことを引き受けて、旅籠屋の主人を抑えこむ。御免。

2001年9月19日 私は、「報復戦争」に反対です
いつものように、夜遅くまでパソコンの前でダラダラ仕事をしていたら、交替勤務で「山中湖店」に滞在中だったK取締役から電話が入った。「テレビ見てます?えーっ見てない?大変、大変、ニューヨークの貿易センタービルに飛行機が突っ込んで、ペンタゴンも燃えてますよ!」こんな夜遅くに何を冗談言ってるんだろう、と一瞬ムッとしたが、すぐにTVをつけたら冗談じゃなかった
それからというもの、すっかり睡眠不足である。おとといからはニューヨーク証券取引所の株価も気になって熟睡できない。

正直に言ってしまおう。他所のケンカは面白い。犠牲者のことを考えたら不謹慎だが、こんなにドキドキする出来事なんて滅多にない。そういう感情を持つことを否定する人がいるとしたら、そういう不正直な正義感の方が危ないことだと言いたい。当事者でないのだから思考は共有できても感情が違うのは仕方がない。その上で考えるしかない。私は自分の心をごまかさないし、自分の脳味噌で考える

パレスチナ人のようにお祭り騒ぎをする気分にはなれないが、私の中に最初に湧き上がってきたのは「アメリカ人の思い上がりが招いたことだ。1人勝ちは出来ないということだ」という感情だった。そして1週間、私はいろいろと自問自答してみた。

この事件がニューヨークではなく、東京で起こっていたら、どう感じただろう。どうすべきだと考えただろう。
ブッシュ大統領や小泉首相が言うとおり、アメリカ一国ではなく、自由とか民主主義という人類全体の価値観に対する敵対行為なのだろうか。そもそもその価値観とは疑いもなく人類全体が共有しているものなのか。
犯人を捕まえ法で裁く、ということと、「戦争」による報復とはどう違うのか。
盗人にも一分の理、という見方は、エセ知識人的なナイーブすぎる偽善か。
日本は世界にどう見られているのか、どう見られたいのか。気にしている世界とはどの世界なのか。
本格的な戦争になって日本も当事者になったら、私も徴兵に応じて戦場に行くだろうか。

マスコミ報道を見る限り、アメリカは「戦争」に向けてまっしぐらだし、日本は湾岸戦争の時の「汚名」を晴らすべく日の丸を立てて出来るだけ格好良く振舞いたいらしい。一見もっともらしい正義が声高に叫ばれ、威勢の良い勧善懲悪の主戦論が勢いづいている。

私は本来直情的で、駆け引きの嫌いな単純な性格だから、はっきり言って、多くのアメリカ人のように「やられたらやり返す」という気持ちに乗りたいし、1兆円も金を出してバカにされるより自衛隊にもガンガンやってもらって「男気のある日本」として一目置かれたいという気持ちもある。それを「男らしい」と呼ぶのはわかりやすいし、じつは「男らしくない」と呼ばれるのを何より恐れる政治家たちの心情も痛いほどわかる。あー早くガンガンやっちゃってください、と心のどこかですっきりしたがっている自分がいる。

しかし、しかし、しかし。いろいろ考えた末の私の今現在の気持ちはそうした単純な感情を厳重に否定している。報復「戦争」には反対だし、アメリカの尻馬に乗るのもやめて欲しい。理由は、かいつまんで言うと以下のとおりである。

1●今回の事件は、一個人の狂気によるものではなく、長期間かつ広範囲の現実の中で生み出されたことであり、勧善懲悪的な報復で根本的に解決出来る問題ではないこと。
  ・・・必ず、後継者が登場し、中東で何十年も続いている状況が世界的に繰り返されるだけではないか。
2●我々は知らず知らずのうちにアメリカを中心とする情報や価値観に足場を置いて物事を見ており、西側世界が他の世界に対して「合法的、国家的」テロを行ってきたかもしれないことを公平に理解しているとは言い切れないこと。
  ・・・パレスチナ問題ひとつをとってみても、アメリカが一方的に「報復」と言える立場ではないのではないか。
3●同様に、無意識のうちに肯定してしまっているグローバリズムというものが、アメリカ中心の経済的効率性や価値観の一方的な押し付けになっており、けっして人類全体の普遍的な「正義」や「幸福の拡大」になっていないのではないかという疑念を捨てきれないこと。
  ・・・法治主義、民主主義、経済的合理性による多様性の保証などは、長い間に人類が積み重ねてきた英知の成果であると思うが、現時点では富の偏在を生み、逆の結果を招いている現実があるのではないか。
4●「戦争」とは、法治主義の放棄であり、かろうじて積み上げてきた「人類全体の正義」の共通認識を裏切る行為であること。

数日前、「マーシャル・ロー」という映画を見た。設定があまりに今回の事件に酷似しているため、テレビ各局が放映を中止しているようなので、レンタルビデオで見たのだが、じつに示唆に富んでいた。こういう時こそどんどん放映すれば良いのに、困ったものだ。

それにしても、どうして、あっちでもこっちでも争い事が起きると「神様」が大声で呼ばれるのだろう。よっぽど神は戦争が好きなのだろう。だから神なんて信じないほうが良いのだ。それと、報復「戦争」反対なんて言うと、日本ならすぐに非国民扱いに違いない。先日、アメリカの議会で「報復戦争についての臨時支出」にたったひとり反対票を投じた議員がいたそうだが、そういう人がいるところがアメリカの良いところだと思う。田中知事も見直したぞ。

2001年10月14日 マスコミのセンス
先日、あるテレビ局から取材の打診を受けた。ごく限られた広告宣伝しかできないから、こうした取材は大歓迎である。
ぜひに
、と答えたが数日して再度電話があり、「最近注目されている新しい宿泊施設はユニークな工法や設備を採用して建コストを大幅に下げているようですが、旅籠屋さんの場合、何か目新しい工夫はありますか?」という質問を受けた。宿泊施設の場合、イニシャルコストを下げることが事業の成否に決定的な影響を与えるから、当社でもさまざまな工夫を行ってきたが、ハード面で特別目新しい大規模な変革というものはない。そのとおり答えたらなんとなくがっかりしている様子だ。先方の取材ポイントが見えてきた。
「車社会のインフラとして欠落していた宿泊施設が誕生し、旅行スタイルに変化をもたらすことが重要です。そういう観点で取材していただけませんか?」
例えばウォークマンや携帯電話は、装置の小型化ではなく、その普及によって多くの人の生活スタイルが劇的にかわったことに画期的な意味があったのではないか、私はそういうことを訴えたかったのだが、話はかみ合わなかった。だって、
利用者にとって工法や設備のコストなんてどうでも良いことではないか。
結局、取材の話はそれっきりとなってしまった。
マスメディアの力は大きい。だから、メディアの人たちを無条件にかいかぶる傾向がある。しかし、私に言わせればろくでもない人間も少なくない。ジャーナリストとしての
センスのない連中が、勘違いして偉そうにしている。アホくさ
2001年12月9日 「旅籠屋」の値打ち
10月の「水戸大洗店」で年内の新規出店は終わり。おかげさまで、各店ともまずまず順調で、念願の黒字転換も見えてきた。キュッシュフローもほぼ均衡しつつあるし、必要な場合には、近くの信用金庫から随時運転資金を借り入れることもできるようになった。半年前と比べても劇的な変化である。中小企業の経営者としては、「資金繰り」が何よりも大切なことだから、その悩みや不安から解放されつつあるのは一番の幸せである。
というわけで、少しは暇になってもよさそうなものだが、なんだかんだと忙しい。各店舗を回ったり、いろいろな基本文書を整備したり、システムの見直しを始めたり、出店予定地を見てまわったり。要は、次の飛躍に向けて足元を固めているという感じなのだが、それはそれで、やるべきことは山のようにある。そのほとんどは
地味な仕事だが、これはとても大切なことだと思っている。

やってきたこと、やろうとしていることを客観的に考えれば、もっと派手に注目を集めても良いような気がしないでもないが、大風呂敷を広げて「受けを狙おう」という気はまったくない。堅実にやっていれば、それだけで無視できない存在になる。そういう広がりとインパクトを持った事業だと確信しているからである。

「旅籠屋」を支えているのは利用者の評価、そして各店舗の支配人たちの毎日の仕事の積み重ねである。利用者の笑顔が支配人のモチベーションを高め、社員のちょっとした気配りが利用者の満足につながる。そんな良い循環をしっかりと維持できるような形にしていきたい。

なんだか、きれいごとを言っているようだが、そういうことではない。周囲の人に、がっかりしたと失望されたり、不誠実だと非難されたくない、それだけのことだ。結果としてみんなが少しずつハッピーになれる事業であることが、「旅籠屋」の目的であり、値打ちなのだ。

2001年12月22日 マイブーム
夜、ひとりでパソコンに向かっている時、よく音楽を聴いている。やっぱりBluesが多いのだけれど、気に入れば何でも聴く。最近のマイブームは、氷室京介の「Tenderly」。先日発売になったバラードコレクションCDの中の1曲。リピートに設定して、今夜はもう延べ1時間以上、同じ曲を流しつづけている。私には、かつて、ほとんど非音楽的生活を続けていた空白の10年間があって、Boowyと出会ったのは残念ながら彼らが解散した後だったが、偶然見かけたライブ映像に捕らわれた。好みの分かれるところかもしれないが、氷室の周囲には強烈なオーラが漂っていて、強い引力で彼の世界に引き込まれてしまう。「Tenderly」・・・マイナーの単純な甘いラブソングなのだが、不覚にも涙ぐんでしまったりする。
ここ数日に限って言えば、ルルティアの「ロストバタフライ」や「愛し子よ」、ピンクの「Get the party started」がお気に入り。いずれも、ラジオやテレビでちょっと聞いて気になった曲。ネットで検索したら、ビデオクリップがストリーミングで見られるからラッキー。お試しあれ。
2001年12月23日 気持ち
気が付いたら年の瀬、もうすぐ今年も終わる。歳をとるにつれ、時の経つのがはやくなる。しかし、今年はいろいろなことがあって例年になく長かったような気がする。1年前を思い出してみる。まだ、山中湖店も沼田店も水戸大洗店もなく、工事も始まっていなかった。オープンして最初の冬を迎えた那須店や秋田六郷店は利用者が急減し、気をもむ毎日だった。寒さが厳しく、水道管が凍ったという悲鳴だけが届いていた。
あれから1年、店舗数は倍になり、那須店や秋田六郷店の稼動率も大幅に増え、黒字化の見通しも開けてきた。他の類似施設が苦戦を強いられている中、「旅籠屋」が踏ん張りつづけている理由は何か。ひとことで言えば、それはひとつひとつの店舗の灯を守りつづける支配人ひとりひとりの気持ち
生きているからだ。
何回か書いてきたことだが、今年も頭に来ることがあった。いくら正直に熱意を込めて語っても乗ってこないベンチャーキャピタル。1円たりとも与信枠を拡大してくれないリース会社。機械的な対応を崩さない大手銀行や信用保証協会。たらいまわしの役場。ピントはずれのマスコミ。
ないものねだりであることはわかっている。機械的な対応しか出来ないシステムになっていることもわかる。しかし、私が悔しいのは、そこで働く人たちから本物の気持ちが
伝わってこないことだ。
先例がどうであれ、示されている基準が何であれ、その背後にある理念を自分の心とし、どうして信じる所に立って進もうとしないのか、どうして形式的な壁に抗おうとしないのか。君たちはそうして一生をむなしく送ればよい。弁解と愚痴だけをまとってうつむいて歩くがいい。
語弊を恐れず言おう。金や名声なんてどうでも良いことだ。気持ちを入れて仕事をしていただける人たちと出会い、悩みや喜びを共有できるのなら、それで私は充分に幸せだ
社内の態勢も少しずつ整い、もちろん来年も「旅籠屋」は大きくなっていく。誰もがシンプルで自由な旅を楽しめる日を目指して、たゆまず進んでいく。しかし、少なくとも私が経営者である限り、
気持ちの入らない仕事はしない。ナイーブな言い方だが、そのかすかな熱が利用者に受け入れられている本質なのだと信じている。一灯の光明、一隅を照らす。感謝!

Tenderlyを聴きながら書いているので、ついつい情緒過剰になってしまう。年末年始の休みの間にハモニカでコピーしてみようか。


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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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