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2010年
2010.4/30 新聞を読もう!
2010.6/25 会社借金への個人保証
2010.8/15 昭和85年8月15日
2010.9/15 2度目の富士登山
2010.11/2 創業社長の退任
2010.11/9 折れない心
2010.12/12 ホノルルマラソン2010 参戦記

2010年4月30日 新聞を読もう!

昨秋スタートした「店舗利益向上プロジェクト」の影響で広報宣伝担当としての作業も増え、なにかと目先の仕事に追われて忙しい。
おかげで、日記で愚痴る余裕がなくなって久しい。

第3四半期報告書のリリースも終え一息ついたので、以前から考えていたことをひとつ書いておこうと思う。

待望のゴールデンウィーク、年末年始以来のまとまった自由時間。
貴重な休日を漫然と過ごしてはもったいないので、今回も「やるべきこと」のリストを作る。きちんと実行できた例がないのだが、多少は役に立つ。その中で毎回掲げることのひとつが「たまった新聞を読み終えること」だ。

ときどき苦笑してしまうのだが、私は、新聞にひととおり目を通さないと気持ちが落ち着かない性質だ。出張や旅行から戻ると、律儀に古いほうから見始めて数日後にようやく「今日」になる。
一日の朝夕刊を読むのに30分前後はかかるから、費やしている時間は馬鹿にならない。
時間だけでなく気力も消費しているので、結局他の事を何もできずに寝てしまうことも珍しくない。これでは、本末転倒のような気もするが、やめる気はない。

最近、新聞を読まない人が多いと聞く。若い人はとくにそうらしい。理由を尋ねるとニュースはテレビでもやってるし、知りたいことはネットで調べられるから、ということだ。

声を大にして言いたいのだが、新聞は読んだほうがいい。それも、スポーツ紙や経済紙ではなく、総合紙を。
理由はふたつ。

ひとつ、新聞は「知りたいことを知る」のではなく、「知らないことに気づき、知りたいことを見つけられる」ものだ。知らず知らずのうちに見出しが目に入ってしまう、そこが素晴らしい点だと思う。総合紙であれば、ひととおりの分野が概観できる。

ふたつ、新聞という座標を手がかりに自分の立ち位置が自覚しやすいということ。問題意識や意見なんて突然湧いてくるものだとは思わない。新聞を読んでいると、世間一般の関心事や問題がなんとなく伝わってきて、断片的かつ情緒的な反発や共感が、新聞紙面での論調や論点とぶつかりながらまとまっていく。

新聞に書かれていることは世の中のごく一部にすぎないし、大なり小なり歪んだ「正論」でしかない。
そのことを忘れると、思考停止の「常識人」になってしまう。
しかし、だからと言って、新聞の助けを借りずに、広い視野と見識と判断力が自分の中にあるなどというのは過信であり傲慢である。

新聞ときちんと付き合わない人は支離滅裂で自己チューのモンスターになりやすい、そんな気もするがどうだろう。
大げさに言うと、私は新聞のおかげで自分のアイデンティティをつくり、なんとか保てている気がする。

青少年諸君、新聞を読もう!

2010年6月25日 会社借金への個人保証

睡眠不足と戦いながらのサッカー観戦が続いている。
オランダ戦はパブリックビューイングに行ってきたが、叫ぶ機会もなく敗戦。今朝のデンマーク戦は、自宅で何度も絶叫。
個人的にはカズを帯同させて欲しかったし、俊輔に活躍の場を与えて欲しいが、予想を覆してのグループリーグ突破はもちろん嬉しい。政治や経済の面では、日本の存在感が軽くなるばかりだが、サッカーの影響力は絶大だし、ここはひとつ世界中に「日本」をアピールして欲しい。

さて、仕事の話し。

あと数日で決算日を迎える。
前期は5期ぶりの赤字となり、今期は黒字に戻すことを目標としてきたが、これは間違いなく達成できそうだ。よかった。みんなの地道な努力のおかげだ。
損益の数字以上に喜ばしいのが、営業キャッシュフローが安定してプラスで着実に増えていること。
例年、夏休み前の賞与支給後がもっとも資金が枯渇する時期だが、今年はキャッシュが潤沢で、運転資金を借り入れる必要がない。数年前まで、資金繰りの不安に苛まされる日があったことを考えると、夢のようだ。

こんな時に限って、取引先の金融機関から新規融資の打診を受ける。
「運転資金の心配はないのですが、自社で出店するとなれば設備資金としての借入は必要となります」と答える。というのも、最近、なかなか出店の話しが決まらないので、久しぶりに土地建物を自社で所有することも考えているのだ。「ついては、経営者の個人保証という条件を見直してもらえませんか」と尋ねてみる。

現在の借入残高は2億円以上あるが、すべて私が連帯保証人になっている。中小企業が借入れする場合、当然のように経営者の連帯保証が求められている。
創業当初の会社、実質的に経営者の個人企業のような会社の場合、経営者個人が責任をもって会社の経営にあたることを促すために連帯責任を課すことの合理性を否定しないが、一律にこれを求めることは納得できない。

私は、親族に経営を引き継がせることはまったく考えていない。家業として特定の個人や家族に依存するのではなく、文字通りの法人として自立した社会的存在になることを志向している。これは会社の私物化や公私混同を防いで企業の透明性を高め、最適な人物に経営を引き継いでいくことにつながると信じている。

連帯保証の条件を外してもらうには、通常、ふたつの方法しかないらしい。
ひとつは株式公開すること、もうひとつは上場企業の傘下に入ること。
事業の発展を考えるとき、株式公開することには一長一短がある。経営者の個人保証を外すために株式公開するのは本末転倒である。同様に、ベンチャー企業がそのために既存の企業に飲み込まれなければならないのは馬鹿げたことだ。

長年の慣例ですから、と金融機関の担当者は否定的である。
事業規模が拡大すれば、借入額の単位もかわってくる。億単位の保証を個人に求めることに実質的な意味はなく、ある種の脅迫である。これでは後継者探しは至難のこととなる。
金融機関は中小企業がいつまでも個人企業であり続けることを求めているのか。
株式公開しか進むべき道がないと考えているのか。
企業の健全な発展を金融機関自身が阻害しているように見える。

創業者である私は、もちろん「旅籠屋」の発展を望んでいる。
しかし、終生保証人でいることを受け入れるつもりなどまったくない。

2010年8月15日 昭和85年8月15日

きょうは終戦記念日。昨夜放映されたTVドラマ「歸國(帰国)」の録画を見た。

内容は想定内で、特別の驚きも感動もなかったが、「死」というものを感じさせられ、少々応えた。
というのも、昨日8月14日は昨年9月に他界した父の初盆の法事、そして明日8月16日はその父の誕生日だからだ。

あの世も、お盆も信じてはいないけれど、常に、頭の右後ろあたりに気配を感じているのは不思議なこと。
やはり、ちょっと寂しい。
やはり、ちょっと切ない。


先日、会社の若い連中と雑談していて「戦後」という言葉がほとんど意味を失っているのに、突然気が付いた。

私は戦後の生まれだが、子供の頃はまだ戦争の匂いが色濃く残っていた。
防空壕の跡があちこちに残り、ガード下には白装束の傷痍軍人がたくさんいた。
そして、みんな等しくつつましく、豊かになろうと懸命だった。

ドラマ「帰国」の中で、今の日本人は「豊かさと便利さを勘違いしている」というような科白が出てくる。
「生きることをさぼっている」とも言う。
確かにそうかもしれない。
しかし、人に殺されず、人を殺さずに生きていける「平和」はすべてに勝ることだと思う。

父の死後、級友だった老人に招かれ、昔話を聞きに伺ったことがある。
「戦後何十年も誰にも明かさなかったことだが、じつは特攻隊の生き残りなんです」と、突然告白された。
驚き、そして少し身構えた。
戦争を忘れ、戦死した人々を忘れてしまった現代の世相を嘆き、戦後世代を戒める話しが続くと思われたからだ。
しかし、語られたのは意外な言葉だった。

「将来、日本が攻められ、占領されるようなことがあるかもしれない。
しかし、占領されればいいんです。
・・・死んじゃいけない。敵であっても人を殺しちゃいけない。彼らにも人生がある、家族がある。
私は日本人を信じている。占領されたって、いつか日本人は立ち直る。
死んだ人間はけっして生き返らないんだから・・・」

人間は、とくに男は強がりたい生き物だ。
卑怯者よばわりされるくらいなら勇ましく死にたいと叫んでみたくなる生き物だ。
政治家を含め、「偉い」人達にそういう人が多いかもしれない。

飛行機の故障や天候など、偶然が生死を分かった。
死んでいった仲間への思い、事実の重さが、50年以上の沈黙を強いた。
誰よりも「勇ましく」生きたように思えるその老人の言葉に、私は深く心を打たれ、言葉を失ってしまった。


来月17日の父の命日は、会社の株主総会の日でもある。
この不況下で黒字に戻せたこと、そして・・・
報告を笑顔で聞いて欲しかったが、それはかなわない。


昭和85年8月15日、深夜。

2010年9月15日 2度目の富士登山

数年前から企てていた親子での富士登山。
直前に仕事の予定が入ってしまい、3週間遅れの8月下旬、上の息子と2人だけでの登山となった。


昼過ぎに家をでて、夕方に御殿場口の駐車場に到着。
4つあるルートの中でもっとも低い地点(標高1440m)から、もっとも距離の長い御殿場ルート。
かなりハードと聞いていたが、他のルートの混雑は避けたかったし、仮眠する山小屋も満杯だったので、
あえて夜間登って夜明け前に頂上に着いてご来光を拝もうという計画になった。

数年ランニングを続けているので、体力に自信がないわけではないが、高山病がこわい。
強引に無理できる年齢でないことは自覚しているし、変調をきたせば苦しいだけだ。
そんな不安を抱えながら、とにかく、ゆっくりゆっくり登り始める。

人の少ないルートと聞いていたが、8月中旬の土曜。
早々に日が暮れて振り返れば点々と登山者の灯火が線になって連なっている。 外国人も多い。
1時間に一度は座り込んで休憩。振り返ると山麓の演習場で夜間の実弾演習の火。遠くに花火大会の火。

20時前に1930mの次郎坊。2時間以上もかかっている。
22時ころに夕食のおにぎりをほおばり、23時過ぎに2590mの新六合目。
延々と足元の安定しない砂礫道で疲れる。
普通なら4〜5時間で到着するはずの7合目に着いたのは、午前2時前。8時間以上も経過。
4時過ぎ、3310mの7号9勺の小屋に着いたころに空が白み始め、1時間ほどとどまってご来光を見ることにする。
さすがに寒いが、素晴らしい日の出を眺める。

5時半前にここを出てすぐに8合目。見上げると頂上の縁が見える。あとわずか、もうひと頑張りと思うが、ここからが長い。
登っても登ってもなかなか頂上が近付いてこない。
3週間前に同じコースを登っている息子も疲れているようで、歩みが遅い。
結局頂上に着いたのは8時ころ。
最初のペースが遅すぎたのか、休みが多すぎて時間をかけすぎたのか。
眠気もあって、精神的にもかなり疲れてしまった。

思えば、40数年ぶり、2度目の富士登山。
前回は、中学生だったか、高校生だったか、昨年亡くなった父との登山だった。
あの時、父は40台半ば、今の私よりずっと若かったことになる。
頂上で力尽きた私を置いて頂上付近を更に歩きまわっていた姿が記憶にある。
剣が峰まで往復してきたのか、お鉢巡りをしていたのか。
「オヤジ、来たぞ!」と小さくつぶやいて、あの時果たせなかったお鉢巡りに挑む。

頂上付近はおそらく数千人はいるだろうという賑わい。
食堂で800円のカップうどんを食べ、最高地点の剣が峰に登り、そのまま右手に恐ろしげな火口を見ながら、その縁を廻っていく。
疲れた体には登りの待つ下り坂さえ恨めしい。ふつう1時間半という行程に、結局3時間以上もかかる。
ここでちょうど正午頃。計画ではすでに登山口まで戻っているはずの時間だ。

一応の目的は果たしたし、ヘリコプターで迎えに来てほしいところだが、自力で下るしかない。
座り込むと眠気に襲われる。心身ともにクタクタ。
足場の悪い砂礫道。一歩一歩に緊張を強いられ、苦行のようだ。

ようやく7合目まで戻り、登りの道から分かれ、待望の大砂走りに向かう。
かつて飛ぶように下った記憶があり、楽しみにしていたが、疲れ切った脚では歩幅が伸びず、逆に筋肉がきしむ。
少しもスピードが出せず、脚が壊れそう。まわりは霧で視界が閉ざされ、人影もない。
無限に続くかと思われるような単調なゆるい斜面が続き、明らかなデジャブーにとらわれ、半ば幻覚状態。
今、自分が何をしているのかがよくわからない。無性に苛立つ。

1時間以上もこんな状況をさまよい、ようやく先行していた息子と出会い、残りの数キロを無言でとぼとぼと歩き続ける。
方向感覚も位置感覚も失いながら、なんとか5時ころに登山口に戻る。考えてみたらほぼ24時間歩きっぱなし。

予定どおり、日帰り温泉に立ち寄って汗を流し、食事をとる。
さっぱりして、ようやく一息つくが、これから東京まで戻らなくてはならない。瞬時に眠りに落ちてしまいそうで、危険極まりない。
年齢制限のある保険の関係で、運転を代わってやるわけにもいかない。ひたすら話しかけながら、渋滞を抜け、0時ころに帰宅。
荷物を置き、ベッドに倒れこみ、3秒で意識を失う。

フルマラソンよりずっとつらかった。

2010年11月2日 創業社長の退任

最近、お世話になった企業のトップが相次いで退任された。

ひとりは、ディーブレイン証券(現、みどり証券)の出繩社長、もうひとりはリサ・パートナーズの井無田社長である。

ディーブレイン証券は、当社が1999年暮れにグリーンシート市場に登録する際の引き受け証券会社。
当時、営業店舗は「日光鬼怒川店」のみ。「那須店」や「秋田六郷店」の出店準備で苦労していた頃で、出繩社長との出会いがなければ、その後のチェーン展開はきわめて困難なものになっていたに違いない。

リサ・パートナーズの井無田社長との出会いは2004年夏、ある方の紹介でお会いした。初対面ながら当社の事業に強い関心を持たれ、即座に共同出店の意向を示していただいた。その後「東京新木場店」をはじめ14の店舗が具体化したが、それは現30店舗のほぼ半分である。この業務提携がなかったら、現在のチェーン展開はない。

両社とも、設立は当社の3〜4年後。いずれも、従来なかったビジネスモデルを実現したベンチャー企業で、社長の強い思いがあって実現した社会性の高い企業である。

数年前までは順調に業績が拡大していたが、金融情勢の激変が大きな影響を与えたようだ。退任に至った詳しい事情はわからないが、志半ばでの不本意な退場であったことは間違いない。

経営が行き詰ったことについて、トップの責任は重い。批判も当然あるだろう。判断に甘さや誤りがあったのかもしれない。しかし、ベンチャー企業の創業社長のひとりとして、無念の思いは容易に想像できるし、胸が詰まる。

新しいことを興す人と、育てる人と、守り維持する人の適性は違う、というようなことを聞いたことがある。
たしかにそうかもしれない。しかし、リスクを承知で興す人がいなければ、育てることも守ることもできない。

両氏のことだ、新しい挑戦に向けて、捲土重来を期されているに違いないが、少なくとも現時点でこれまでの勇気と情熱と労苦に心からの敬意を表したいと思う。

素晴らしい仕事を残されましたよ。
「ファミリーロッジ旅籠屋」は、 間違いなく、そのひとつです。

2010年11月9日 折れない心

政治も経済も、何となく世間は波立っているが、私は相変わらず淡々と走っている。
猛暑の夏が去って、 ランニングシーズン到来。
継続的に続けるようになって3年目、月平均の走行距離は100km以上になり、先月は初めて200kmを超えた。
しかし、走力は一進一退。
10日ほど前にも「第2回 しまだ大井川マラソン」に参加したが、30km過ぎから歩いたり走ったりの状況になってタイムは去年より5分も遅くなってしまった。
70歳過ぎても3時間台で走る人がたくさんいるのに、未だ5時間を切れない低レベル。
人と比較して速い遅いはともかくとして、いつものように自分に負けて歩き出してしまうのが情けない。
2時間を越えてくるとなんとなく脚が重くなり、3時間くらいで心が折れてしまう。

長時間、長期間、何かをやり続けること、負荷に耐え続けることはほんとうに難しい。

旅籠屋も1号店オープンから16年が過ぎた。
社内研修でいつも言うことだが、宿泊施設の運営業務というのは、賽の河原で石を積むのに似ている。
毎日毎日、部屋を掃除して、庭の草取りをして、建物を元の清潔な雰囲気に戻す作業の繰り返し。
良くて当たり前、ほんの小さなことが印象を大きく損ねてしまう。
70点で満足すればラクなのだが、90点を目指さなくなった心の緩みは「匂い」のようなものになって建物に染み付いていく。

歩かないでゴールする人は、私と何が違うのだろう。
とにもかくにも「やり遂げたい」という小さな思いの差なのか。。
当人しか知らない、当人にしかわからないことだけれど、そんな満足の積み重ねが、少しずつ心を磨いていくのだろうか。
ちなみに、ウルトラマラソンのランナーの多くは、さらに何か自分以外へ感謝するような気持ちにならないと走り続けられないと言う。

今月末には「つくばマラソン」がある。

長距離走の面白さは、自分の心や体を感じることができることだ。
いつものように、私の脚は脳を通じて「歩こうよ、歩こうよ」と弱音を吐いてくるだろう。
でも、今回は、心に話しかけてみるつもり。
「ここらで一度、やり遂げてみよう!ゴールした時、少しだけ違う世界が感じられるかもしれない」と。

2010年12月12日 ホノルルマラソン2010 参戦記

 

第39回 ホノルルマラソン2010に参加してきた。

朝3時過ぎに借りてる別荘を車で出発。
出走者は、私、長男、次男、長女の婿さん、次女の婿さんの5人。
交通規制を心配したが、スタート地点のアラモアナ公園の近くまで行けて、3時40分にはスタート地点に到着。
すでに日本人のツアー客がいっぱい。
天気はきのうの昼前から快晴になり、気温はおそらく20度くらいでまったく寒くない。
公園内でゆっくりストレッチしたり、トイレに行ったりして、スタートの30分前、4時半にコースへ。
ゴールタイム5-6時間のエリア。
アナウンスでは、参加者2.3万人のうち、日本人が1.3万人とのことだが、周りは8割がた日本人の感じ。
スタート10分前にアメリカ国歌が流れ、かろうじて海外での大会であることを実感する。
観光収入にはプラスだろうが、逆の立場で考えると、例えば「東京マラソン」の参加者の過半が外国人で、外国語のアナウンスが鳴り響いているというのは、正直なところ地元の感情としてはどんなもんだろう。

そうこうするうちに、前方で花火が上がる。
これがスタートの合図だと思う。
やっぱり花火は気持ちが湧き立つ。
そろりそろりと歩いているうちにスタートラインを通過。
すでに約15分経過。

聞いてはいたが、スタート直後から歩き始める人が少なくないし、グループで並んで走っている人が多いので、とにかく走りにくい。
渋滞をすり抜けながら追い抜いていくのだが、とてもマスペースでは走れない。
それに走り始めると湿度が高いせいか、体が重い。
キロ7分30秒、5kmでやっと7分ペース。
これでは、とてもタイムは狙えないと悟り、一気にモチベーションが下がる。

立ち止まって記念撮影をしている人も多く、ホンルルマラソンの性格がよくわかる。
カラカウワ通りを東に向かう頃から前方の空が白み始め、ダイヤモンドヘッド脇の上り坂の途中で日が昇る。
すごい日差し。
道が狭くなり、渋滞が続く。
心配したほどの勾配ではないが、もう、無理せず時々歩く。

下りに入った頃からはLSDペースでたんたんと走る。
沿道の声援は断続的に続き、高速道路に入る手前の交差点では大声援。
good job! という声が多いが、さすがにアメリカ人は元気が良くて声が大きい。
今日が誕生日と背中に書いて走っている女性を見つけて、まわりのランナーが大きな声でHappy Birthdat To You・・・と歌いだす。
軍服に大きな背嚢を背負って早足で歩く兵隊集団も見かける。
ゼッケンをつけているので、参加者だ。ゴツイ。
見ているだけで重そうで、暑苦しそうで、こりゃ立派な行軍訓練になるに違いない。

高速道路に入ってしばらくすると、折り返して戻ってきた反対側にあの「おにぎりランナー」を発見。
かなり、苦しそう。
新婚旅行を兼ねているのかも。

そんなことを考えていると、見慣れた黄色のTシャツを前方に発見。
長女の婿さん、てっきり後ろにいると思っていたのに、まったくの予想外。
かなりペースが落ちているようで、しばらくすると追いつく。

それから1kmも走らないうちに、借りている別荘の前を通る。
みんなが、イスを出して差し入れを用意して待ってくれている。
隣りの別荘に滞在中の5歳くらいの女の子"ナオミちゃん"もアメリカ人のお父さんと日本人のお母さんと一緒に迎えてくれる。
カルピスを少し飲んで再び走り出す。
間違いなく先頭を走っていると思っていた次男は2kmくらい後ろらしい。

再び2人で走り出すが、長女の婿さんに離され姿が見えなくなる。
無理に追う気力もないのでマイペースで走る。
ここから折り返しのハワイカイまではまだ相当ある。
高速道路なので、単調。
タイム更新の目標を失っているので精神的につらい。

と、突然、前を走っている中年女性が「カメラ、カメラ」と騒いでいるので何かと思ったら、数m横にあの高橋尚子さん、彼女も参加しているのだ。
立ち止まってみんなにハイタッチしている。
駆け寄ろうかと思ったが、タイミングを失ってしまった。
テレビで見るより、小柄でキュートな感じ。

反対側を走る人がどんどん増えてくる。
はやく折り返しエリアに入りたいと思うがなかなかたどり着かない。
日差しは強いが、枝の広い街路樹(日立の樹で有名なモンキーポッド)のおかげで、結構日陰がある。
時差ぼけと睡眠不足のせいで、時々眠たくなる。

やっと折り返しエリアのハワイカイ地区へ入ると、素晴らしい高級住宅が並ぶ。水路に面してボートをつないでいる家も多く、アメリカの豊かさを垣間見る。
数キロまわって、ようやくゴール方向へ進み始める。反対側に後続のランナーが延々と続くが、歩いている人が多い。
最後尾を走る長男とすれ違う。
長女の婿さんは5分以上前にすれ違ったらしい。

しばらくして、再び私設応援席の前にたどり着く。
33kmくらい。
はっきり言って、再び走り出すのがかったるい。
「あーめんどくせ〜」と言いながら再スタート。
あとは、何とか、6時間切ることと、先行する彼に追いついて1位でゴールすることをかすかなモチベーションにしてなるべく歩く時間を少なくするように努める。

高速道路を下り、カハラモールの横を通って、カハラホテルまでの住宅街を抜けていく。
給水所の間隔が短くなり、高校生くらいのボランティアがコップを差し出してくれる。
氷を入れてあったりしてとても冷たくておいしい。
でも、ガブガブ飲んでいると下痢しそうでこわい。
氷といえば、大きなビニールに詰められ、土嚢のように道端に積み上げてある。
さすがに物量のアメリカという感じ。
その上に座って脚を冷やしているランナーも多い。

住宅街を抜けるといよいよ最後の上り坂。
6時間を切ることだけを気持ちの支えに走っていると、遠くに見慣れたTシャツ。
なんとか、長女の婿さんに追いついた。
「このまま行けば、6時間切れるよ」と声をかけて先に行く。

帰りの上りは往きよりも緩やか。
ピークを越えれば、あとは下り坂、そしてゴールのカピオラニ公園。
最後の直線に入るが、この1kmが長い。
いったん歩こうと思ったが、沿道から「旅籠屋さん、頑張れ!」の声がかかり、走り続ける。
後で聞いたら、スタート地点で並んでいるとき、「旅籠屋、よく泊まるんだ。クロワッサンがおいしいよ」としゃべっている人がいたり、
「お店の支配人がみんな走ってるんですか?」と尋ねられたりした人もいたらしい。
このように声を掛けられことが増えており、嬉しい。
こうして応援に力をもらい、ついにフィニッシュ。

記録は、5時間58分32秒。
フルマラソンは7回目だし、タイムは先月の「つくばマラソン」で出した4時間台の自己ベストより1時間以上遅いし、特別の達成感も感動もなかった。
涙がこみあげてくるなんてないし、もちろん人生観が変わるなんてこともない。
ゴールを抜けてすぐに、貝殻のレイをかけてもらい、道脇に腰掛けて一休み。

しばらくすると、長女の婿さんもゴール。6時間は切れなかったみたい。
疲れきった体をひきずりながら、一緒に完走Tシャツをもらい、水やクッキーやりんごで空腹をみたす。
最後に、預けてあった着替えを受け取って木陰で座り込む。
しばらくして、次男や次女の婿さんもそろい、30分ほど居眠り。
日向は暑いが、木陰は涼しく、寒くて目が覚めた。

長男がなかなかゴールしないので気をもんだが、9時間半頃、フィニッシュ。
5kmからずっと歩いていたようで、意外と元気だった。

今年の正月に私のちょっとした思い付きで始まった今回のマラソンツアー。
家族全員が集っての旅行は、これが最初で最後になると思う。
明日は、次女夫婦の2年遅れの結婚式を海沿いの教会で行う。
それぞれ、忘れられない思い出になってくれればと思う。

ホノルルマラソン、来年も出たいか?
うーん、タイムを狙ってまじめに走るような大会じゃないし、微妙かも。
5〜6歳の子供を連れて走っている親子を何組も見たけれど、完走だけを目的に楽しく走る、というならとても良い大会かもしれない。

いずれにせよ、全員が無事に完走。
よかった、よかった。


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「旅籠屋主人のベンチャー日記」 (雑誌「戦略経営者」連載)はこちら

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